名大ウォッチ

新聞社で長く科学報道に携わってきたジャーナリストが、学内を歩きながら、
大学の今を自由な立場で綴っていきます。

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 NHKの朝のニュースで1月31日、「日本の憲法を開発途上国へ」のタイトルで名古屋大学の法整備支援が取り上げられていた。全国ニュースで5分余り放映されたとあってその威力はさすがに大きく、東京の友人たちから早速、いくつか反響が届いた。その一つにはこうあった。「日本の国際貢献の一つとして実に有意義な取り組みだと改めて認識しました。アメリカは評判を落としまくり、こわもてな大国が幅を利かせる中、日本にはこうしたソフトな貢献がふさわしいのだと心底思います」。名大の法整備支援について私が話していたのを思い出し、映像によって具体的なイメージが湧いたのだろう。
 全国に流れたこのニュース、地元のNHK名古屋の記者が手がけたのかと思ったが、東京で憲法70周年の取材をしている記者が名大の活動を知り、取材にやってきたのだという。「灯台下暗し」ではないけれど、外からの新鮮な目を通すことでその価値を再認識させられるということはしばしばあることだ。これもそんな一例だろうか。

 さて、法整備支援とは何か。私自身、法務省関係の友人が「アジア諸国に対する法支援」の重要性について話していたのを聞いた記憶はあるものの、その中身は知らず、ましてや名大の活動については、知るよしもなかった。だが、名大に来て話を聞くうち、友人のメールにあったように、国際貢献として大きな意味があることに気づかされた。
 私が理解したところではこうだ。途上国は、経済発展に伴って、さまざまな法制度を整える必要がある。その場合にお手本になるのは、先進国の法律だが、どの社会にもそれぞれ歴史があり伝統もあるので、そっくりそのまま持ってくるわけにはいかない。その点で、日本は明治維新以来、欧米の法律を日本の社会に合わせて取り入れてきた経験を持つ。それが途上国で役立つのだ。同じ先進国でも、たとえばドイツとフランスでは法の考え方も異なるが、日本はそうしたさまざまな考え方を咀嚼したうえで自分たちの法律を作ったので、どこかの国の法律だけに偏ることもないのもメリットだ。そうした法律作りに協力したり、あるいは、そのための人材育成を行ったりするのが法整備支援である。ニュースでは憲法が中心だったが、それだけではないことはいうまでもない。

 名大でその拠点としてさまざまな事業を展開しているのが「法政国際教育協力研究センター(CALE)」である。日本語の名称にはなぜか「アジア」がないが、英語の略称にあるAはむろん「アジア」である。ベトナム、カンボジア、モンゴル、ラオス、ウズベキスタンの5カ国6カ所に現地の大学生が日本法を学ぶ「日本法教育研究センター」を置き、現在約350人が学んでいる。
 一方、名大キャンパスでは現在、アジアを中心に30カ国からの約200人の留学生が学んでいる。名大法学部の1学年の定員は150人、これより少ないのは女子大で初めて法学部を設置して話題になった京都女子大くらいで、「全国有数の小さい法学部なんです」とCALEセンター長でもある小畑郁法学部教授は苦笑いする。そんな小さな法学部に、1学年の学生数を軽く超える留学生がいると聞けば驚く。理工系が多数を占める名大の中でも法学部は小さいが、留学生の数では全体の1割近くになる。日本人学生にとっても大いに刺激になるに違いない。

 それにしても、なぜ、名大なのか。東京から取材にやってくるということは、どこでも行われていることではなく、それだけユニークであることを意味する。しかも、番組でも紹介されていたが、実に20年以上の歴史を持つ。
 そのきっかけをつくったのが、民法の権威である森嶌昭夫名誉教授だ。私にとっては環境分野の専門家として取材対象だったので、思わぬ再会となった。東京の事務所を訪ねると、エネルギッシュに語ってくれた。
 1990年ころ、法学部長として「東大や京大に負けない意義を持つとしたら、アジアに力を入れることではないか」と考えたという。中部地方の企業がアジアに進出していくうえで、現地の法律や経済状況を研究すること、そして名大で留学生を受け入れて日本の法制度がわかる人材を育てることが欠かせないと説き、トヨタなど中部地方の企業から合計1億2000万円の寄付を集め、「アジア・太平洋地域法政研究事業」を始めた。これは法学部創設40周年を記念する事業でもあった。そして、「絵に描いた餅を餅に」すべく、ベトナムなどの国々を訪ね、計画を具体化していった。

森嶌昭夫名誉教授

 90年代半ばは、89年のベルリンの壁崩壊を機に社会主義諸国が市場経済 に移行し始め、新たな国づくりのための法整備が必要となって、先進諸国がこぞって法整備支援に乗り出したころでもあった。日本でも、政府が国際協力機構(JICA)を通して法整備支援事業に乗り出したのは96年のことだ。すでにこの分野での経験を積んでいた森嶌さんは協力を求められ、大学での人材育成と平行して、ベトナムやカンボジアでの民事法整備などの事業にも携わった。
 たとえば、カンボジアは、ポルポト政権下で知識人が殺され、生き残った法律家はほとんどいないなかでの法作りとなった。刑法を託されたフランスは、自国の法律をぽんと持ってくるやり方で1年で起草するとしたが、森嶌さんは民法の整備には少なくとも3年必要だと強く主張した。カンボジアの現状を前提に、クメール語で現地の人たちと議論しながら作るにはそれだけかかる、というわけだ。その考えが受け入れられ、結局、6年がかりの作業になった。「キャンディを作るのとはわけが違う」と森嶌さんはいう。それこそが、日本が歩んで来た道ということだろう。

 外からぽんと持ってくるのではなく、その国の人が法律を作り、運用する。そのために、現地で、あるいは名大で、若い人を教育する。法整備支援の中で最も重要なことであり、大学にしかできない。こう言うのは、長く法整備支援に当たってきた鮎京正訓名誉教授だ。
 その教育の中でもユニークなのは、日本法教育研究センターでは、現地の大学生が日本語で日本法を学んでいることだろう。日本語で書かれた法律を英語で学ぶのでは限界がある、そんな議論から、日本語で教えることになった。学生たちはさらに、その過程で日本の高校生が学ぶ公民や歴史の教育も受ける。
 果たしてうまくいくか、当初は疑問視する見方もあったが、今では思わぬ成果を生んでいる。各国では、さまざまな形で日本語教育が行われているが、現地のスピーチコンテストでは、そうした学生たちをおさえ、日本法センターで日本語を学んだ学生たちが軒並み、トップを占めるようになったのだ。単に日本語を学ぶというのではなく、法律を学ぶという目的意識があるからなのか、あるいは、日本法の理解のために社会的な背景をも合わせて学んでいるためか、日本語教育のあり方に一石を投じているそうだ。
 小畑さんもこれまでの経験を通し、やはり中身を持った日本語を学んでこそ、という。英語でプレゼンをしていると、知らず知らずの間に聞き手に媚びている自分に気づくという。つまり、彼らがわかりやすいように話している。しかし、本当は、時間をかけてでもわかってもらうことが重要なのではないのかと。

法政国際協力研究センター長 小畑郁教授

 「150年余をかけて西欧中心主義と向き合いながら日本の大学が蓄積してきた人文社会系の知は、裏を返せば、それ自体が知的資源となる」。オックスフォード大学の苅谷剛彦教授は「日本の文系学問が国際貢献する方法」と題した原稿(中央公論2月号)の中でこう書いている。それは、「西欧の知識を取り入れつつ、それがそのままでは日本の歴史や文化、社会を説明する上で、間尺に合わないことを意識せざるを得なかった『日本という経験』」である。そこから西欧とは違う視点を有効に示せれば、人文社会系の学問は世界に通用するはずだし、世界を理解するための知の多様化に貢献できるとする。法整備支援はその好例のようにみえる。

 

 名大がアジア重視を打ち出して四半世紀が過ぎた今でも、法学の世界ではアジア法の研究は依然として傍流でしかないという。しかし、「アジアの法律を研究し、アジア諸国の法整備にかかわっていくことは、世界の新しい流れの中で、自らの法学を新たな視点で見直す格好の機会にもなる」と市橋克哉教授は強調する。「名大といえばアジア」「アジアといえば名大」という言葉を聞くように、長年の蓄積が少しずつ認められてきたことも事実だろう。前々回に紹介したベトナムの司法大臣をはじめ、数多くの名大育ちがアジア各国で要職について活躍している。
 小さな法学部のでっかいアジア貢献を、これからも大いに期待したい。

著者

辻 篤子(つじ あつこ)

1976年東京大学教養学部教養学科科学史科学哲学分科卒業。79年朝日新聞社入社、科学部、アエラ発行室、アメリカ総局などで科学を中心とした報道に携わり、2004〜13年、論説委員として科学技術や医療分野の社説を担当。11〜12年には書評委員も務めた。2016年10月から名古屋大学国際機構特任教授。

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