名大ウォッチ

新聞社で長く科学報道に携わってきたジャーナリストが、学内を歩きながら、
大学の今を自由な立場で綴っていきます。

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2017年03月10日

トランプ旋風と大学

 やはり、百聞は一見に如かず。温暖化を認めないなど科学に否定的な姿勢が伝えられているトランプ政権だが、米国の科学者たちの危機感がどれほどか、2月半ばにボストンで開かれた米科学振興協会(AAAS)の年次大会に参加し、ひしひしと感じることになった。急遽設定された緊急シンポジウムのテーマはずばり、「トランプ時代に科学とその健全性を守る」。会場は立ち見が出て、それでも入りきれない人たちが廊下にあふれた。翌日には、科学者たちが大会会場近くの広場で「科学のために立ち上がろう」「科学を守れ」などと書かれたプラカードを掲げて抗議デモを行った。異例の出来事と言っていい。
 科学者たちが最も懸念しているのは、客観的証拠を重視する科学的な価値観が否定され、情報や人の自由な動きが制限されては、科学という営みそのものが損なわれかねない、というものだ。シンポジウムなどでは必然的に、科学が社会で果たす役割や客観的事実に基づく政策判断の重要性を再確認し、科学の健全な発展のために必要なことは何か、科学者はどう責任を果たしていくのか、といった科学をめぐる本質的な議論が提起された。そもそもこの10年ほど、世界的に科学の地位が低下しつつあるのでは、という懸念も、AAAS会長のバーバラ・シャールさんの基調講演のなかで示された。
 その意味では、日本の大学にとっても、考えるべき課題の数々をふくんでいる。4月22日のアースデーには、首都ワシントンや全米各地、さらには世界各国でも、科学の重要性を訴える大規模デモが計画されており、日本の研究機関などにも参加の要請が来ている。科学はいうまでもなく、グローバルな営みである。今回は名大を飛び出して、米国から報告してみたい。

  AAASの緊急シンポジウムには多くの人がつめかけた(2月18日)

 AAASは、科学全体にかかわるものとしては世界最大の学術団体である。本部はワシントンにあり、科学者には科学誌「サイエンス」の発行元としておなじみだ。毎年2月、全米各地をめぐりながら開かれる年次大会には、米国だけでなく海外からも科学者や記者など数千人が参加し、週末をはさんで5日間にわたり、講演会やシンポジウム、ワークショップなどが行われる。週末には家族向けのイベントもあり、大勢の家族連れでにぎわう。フェスティバルとは銘打たれていないものの、科学の祭典と呼びたくなるような、活気に満ちた会合である。
 私自身、米国に駐在していたときには必ず参加したし、帰国後に取材にでかけたこともある。しかし、今回ばかりは雰囲気が様変わりだった。現状への危機感から初めて参加するという人も多く、60カ国以上から参加者は1万人を超えたという。大会冒頭、実行委員長としてあいさつしたブラウン大学のクリスチーナ・パクソン学長は単刀直入に「今年の大会は、いつものように科学を称えるだけでなく、科学への脅威について大いに議論する場だ」と切り出した。
 大会のメーンテーマは「科学政策を通じた社会への貢献」。まさに今の状況にぴったりだが、実は昨年11月の大統領選のはるか前に決まっていたものだ。選挙結果はどうあれ、8年ぶりに登場する新政権をにらんでのものだったろうが、このような状況で論じることになろうとは、想像もできなかったに違いない。ゲノム編集や人工知能(AI)などの最先端のテーマも数多く取り上げられる一方で、全体を通していえば、姿は見せないものの、陰の主役はトランプ大統領だったといっていい。
 これまでなら、政権が代わるときには新政権、あるいは選挙中なら有力候補の科学担当スタッフがやってきて、科学政策を議論する場が設けられる。今回は大統領の科学顧問を始め、米航空宇宙局(NASA)長官など科学にかかわるポストの多くがまだ空席であることもあり、新政権からの参加はないまま。政策を論じるのに重要な当事者がいないという状況は、異例という以上に、むしろ異常とさえいえるものだった。

「科学を守れ」と、ボストンで抗議デモが行われた(2月19日)

 未だに具体的な科学政策はまだよくわかっていない。しかし、これまでの大統領令や発言からすれば、憂慮すべきことが多い。
 まず、トランプ大統領は軍事費とインフラ投資を大幅に増やす方針を示しており、その分、研究関係予算がばっさり削られるだろうということだ。とりわけ、気候変動にかかわる連邦政府の予算や研究費、さらに、すぐに実を結びそうにない基礎研究や教育関係予算がその標的になるのでは、と心配されている。実際、3月になって、海洋大気局(NOAA)予算は17%減、中でも研究予算は26%の減と報じられた。その名の通り、海洋や大気の観測で世界的にも重要な役割を果たしている組織で、大幅削減となれば、かなりの影響が出そうだ。
 一方、地球温暖化は虚構だとするトランプ政権は政府機関に対し、気候変動に関することを発表することを禁止し、中東などの7カ国を対象にした入国制限の大統領令にも署名した。後者は、州からの異議でいったん差し止められたものの、新たに6カ国を対象とする大統領令に署名するなど基本的な姿勢は変わっていない。生物学者でもあるAAAS会長のシャールさんは基調講演で、「情報の自由な交換と国境を越えた人の自由な行き来は、科学の発展のための重要な柱であり、それが制限されては科学そのものが弱っていき、長期的には米国だけでなく、地球規模で経済、及び人々の健康にも悪影響を及ぼす」と危惧を述べた。
 では科学者コミュニティーはどうするのか。シャールさんは、科学は人々のためであるということを再確認したうえで、いかに人々の暮らしを便利に快適に、かつ健康にしているか、いかに政策決定のもとになる客観的事実を提供しているか、科学が果たしている役割を社会に理解してもらうことが必要だと強調した。多くの論者が、市民との対話の重要性を述べていた。
 こうした議論を通して改めて浮かび上がったのは、米国の科学は、世界中の優秀な人材を集めることで成り立っているということだ。人の自由な動きによって最も恩恵を受けているのが米国であり、それを制限しては米国の活力をそぐことになるのは当然のことだ。全国の大学や学会は、入国制限に反対する公開書簡を出した。
 影響はじわじわ現れている。一時帰国中にビザが切れるなどで大学に戻れなくなったり、あるいはイスラム系の人々を敵視する空気の広がりでいやがらせも起きている。米国から出ようという人たちも出始めていると報じられている。2001年9月のニューヨークの同時テロ後にもそうした動きがあり、落ち着くには時間を要した。

AAAS展示会場のWPIブースには、名大のITbMも参加した

 日本にとっても、海外から多様な人材を受け入れることの重要性はいまさらいうまでもない。世界的に見ても、安心して学び、先端的な研究ができる環境があることも間違いない。
 AAASには展示会場もあり、米国内のみならず、世界各国の研究所や大学がブースを設けた。名大からはトランスフォーマティブ生命分子研究所(ITbM)が、日本学術振興会の「世界トップレベル研究拠点プログラム(WPI)」の一つとして参加した。説明役を務めた宮﨑亜矢子・特任助教によれば、300人ほどが期間中にWPIブースを訪れ、どうすれば日本に行けるのかという質問も受けたという。「関心は高い。そうした人たちのための受け入れ体制がもっとあれば」と感じたという。
 名大にはITbMを始め世界的に注目される研究拠点があり、アジア諸国との交流でも歴史がある。そんな強みも生かして、「ぜひ名古屋へ」と世界に向けてメッセージを発してはどうだろう。世界から多様な人材を迎え入れて教育や研究の質を高めていく。現状では課題が少なくないことも事実だが、そのためにやるべきことを、大学として、あるいは国レベルでもっと真剣に考え、取り組んでいく必要がある。研究の世界でも日本の存在感が低下しつつある今、待ったなしの課題だと思う。

 

 最後にもう一つ、ボストンで気づいたことがある。年次大会で女性の登壇が目立ったことだ。先に述べたように、開会のセレモニーではまずブラウン大の女性学長があいさつ、AAASの女性会長が基調講演をした。このほか、大ホールでの総会講演を3人が行ったが、うち2人が女性だった。広場での抗議集会でも、もっぱら女性たちがマイクを握り、科学への支持を訴えていた。日本でももっと、科学を語る場に女性がほしい。女性の登用では必ずしも進んでいるとはいえなかった米国だが、この十数年で明らかに変化は起きている。

著者

辻 篤子(つじ あつこ)

1976年東京大学教養学部教養学科科学史科学哲学分科卒業。79年朝日新聞社入社、科学部、アエラ発行室、アメリカ総局などで科学を中心とした報道に携わり、2004〜13年、論説委員として科学技術や医療分野の社説を担当。11〜12年には書評委員も務めた。2016年10月から名古屋大学国際機構特任教授。

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