名大ウォッチ

新聞社で長く科学報道に携わってきたジャーナリストが、学内を歩きながら、
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 思わず、聞き返した。「えっ、月命日ごとに法要、ですか?」

 東日本大震災からちょうど6年に当たる3月11日の土曜日午後、名大東山キャンパスにある減災館でのギャラリートークでのことだ。この日のテーマは「愛知の歴史が語る人と震災」、講師は関東大震災など歴史的な地震の研究でも知られる地震学者の武村雅之教授だった。

武村雅之教授によるレクチャーでは、参加者からの質問も多かった(2017年3月11日、減災館で) 

 どの地震の法要かといえば、今から120年以上も前、1891(明治24)年10月28日に起きた濃尾地震だ。地震の規模はマグニチュード8.0、内陸の地震としては国内最大級で、岐阜、愛知を中心に7千人を超える死者が出た。「身の終わり」にかけて「美濃・尾張地震」ともいわれ、名古屋でも近代的なレンガ建築が倒壊したことから、近代日本の地震・地震工学研究の出発点ともなったという。この震災の当時、衆議院議員だった天野若円が岐阜市に震災の慰霊堂を建て、子孫が近隣の人たちとともに毎月28日に法要を続けているというのだ。今は神奈川県に住む子孫も毎月、法要のために戻ってくるという。100年を超える歴史的ともいえる時間と、毎月という日常的な時間、なんともかけ離れた時間軸に、しばし考え込んでしまった。

 武村さんが参加者に語りかけた。「風化する、なんて自然現象みたいにいうけれど、人が風化させる。風化するかどうかは人次第なんです」
 甚大な被害を生んだ濃尾地震を忘れまい、風化させまいという強い思いが、月命日で始まった法要を定着させたのだろうか。確かに、1年に1度では人々の意識からすぐに遠ざかってしまう。毎月という日常的な時間の中に置いてこそ、震災の記憶が骨肉化する。風化させないための知恵だったのだろう。6年で早くも東日本大震災の風化がいわれる今、重い言葉である。
 この日のトークで武村さんは、明治以降の大地震とその被害の歴史を振り返り、建築物の耐震基準は法改正によって強化され、着実に震動による死者を減らしてきた一方で、高台への避難など人の行動は法律では規制できないため、津波の犠牲はなかなか減らせないとした。人間は簡単には変わらない。武村さんは「真の防災は、人間そのものを考えるところから」と話し、「一人ひとりが諦めずにチャレンジしてほしい」と20人ほどの参加者に訴え、トークを締めくくった。

 減災館の教員による「こだわりの減災と展示のはなし」と題した市民向けのギャラリートークは休館日以外、毎日行われている。大学の研究施設でこんなことをしているところはまずないにではないか。減災館に拠点を構える名大減災連携研究センター長の福和伸夫教授は「社会に支えられた組織なので、建物の半分は社会に役立てる」と明快だ。
 このことに限らず、減災館は、ちょっとほかにはない、際だった存在だ。簡単に紹介してみたい。
 今でこそ、「減災」という言葉はおなじみだが、福和さんがこれをキーワードに研究所を作ろうと動いたのは東日本大震災の前だった。震災が起き、来ると思っていた予算は東北へ行ってしまったため、地元の産業界の寄付をもとに2012年1月、正式に発足した。今も大学からの予算はごくわずか、おもに寄付金と外部資金とで運営しているという。「社会に支えられた組織」というゆえんだ。研究も、実際に社会にどう貢献できるか、という視点が貫かれている。

減災連携研究センター長 福和伸夫教授

 私自身、これまで防災を取材してきて、さまざまな計画はあっても机上の空論ではないかと感じることが少なくなかった。いうまでもないことだが、自然災害はいつ、どんな形で襲ってくるか、全くわからない。起きる時間帯、あるいは季節や曜日によっても災害の様相は全く異なる。たとえば、阪神大震災は真冬の明け方、新幹線が走り出す前の1月17日午前5時46分に起き、東日本大震災は春先の3月11日金曜日の午後2時46分に起きた。これが逆だったらどうだっただろうか。阪神大震災が金曜日の午後なら、新幹線は何編成も走り、橋脚が折れた高速道路の上にも下にももっと車がいたはずだ。逆に、就寝中に建物の下敷きになって亡くなることはなかったに違いない。一方、津波が明け方だったら? 多くの児童や先生が逃げ遅れた宮城県の大川小学校のような悲劇はなかったかわりに、真冬の明け方、暗闇の中で避難せずに犠牲になる人が多かっただろう。
 過去に起きたことだけにとらわれず、本質的な課題は何か、そこに目を向けていくことが大切だと思う。

 福和さんがめざすのはまず名古屋を中心とする中京圏を守ること。そのために本質的な課題は何かを、企業でも自治体でも個人でも、自ら見いだすようにして、それぞれの立場でその対策に取り組んでいくようにすることだ。なぜ名古屋かといえば、名古屋にはトヨタを始め、日本の基幹的なものづくり企業がある。そこを守ることは日本を守ることになるからだ。そして、それは名古屋だからできる、ともいう。つまり、名古屋の特徴は「自由闊達」「地道」「地元愛」の3Jだからだ。「国から金がこないかわりに自由で、田舎者だから地道で、地元出身者だらけだから地元愛が強い。そうやって、流行を追わずにずっと同じことをやっているから、ノーベル賞だって取れるんです」
 力を入れている活動の一つは「本音の会」。毎月1回、文字通り、防災について本音で語り合う会だ。入会の条件は、自分の会社や組織のことを包み隠さず話すこと。嘘はつかない、どうしてもしゃべれないときは目線でしゃべる、ただし、そこで話されたことは一切公開しない、がルールである。自動車、電力、ガス、道路、鉄道から通信、損保まで、ほぼすべての業界に加え、自治体も合わせて約40組織から防災関係者が参加している。そうして本音を出し合っていくと、たとえば、水にしても、上流から下流までのあちこちに問題があり、想定されている通りにはとても復旧しないことがわかってきたという。
 もう一つ、市町村の連携にも力を入れている。各自治体は自分のことしか考えていないから、たとえばそれぞれに緊急輸送路を書いてもらって一つの地図にのせると、市町村境でぶつりと切れている。そんなことも、一緒に話をすればわかってくる。「要は、本音を吐かせてみんなで生き延びようということです」
 まずは、名古屋だからできることを、そして、それは新たな防災モデルにつながっていくに違いない。

建物全体を揺らす実験を、学生たちが見学した(2016年12月6日、減災館で)

 そして、減災館のユニークさは、建物そのものにもある。5階建てのビル全体を揺らす実験ができるようにもなっているのだ。構造物を乗せて揺らす実験用の振動台はあるが、実際に使われている建物を揺らすなどというところは、おそらく世界中探してもないだろう。昨年12月初め、それが見学できるというのではせ参じた。せっかくの機会だからと東京にいるかつての記者仲間にも声をかけたら、3人がやってきたので、福和さんの事前レクチャーを受けた後に見学した。
 どうするのかといえば、6000tの建物をジャッキで横に15㌢ほど引っ張る。そして、「5,4,3、2,1」とカウントダウンをして放す。建物は免震装置の上に乗っているので、揺れが続くことはなく、さっと収まる。それでも、大きなビルが動くのは大変な迫力である。建物の内部では震度3ほどの揺れになる。

工学部・工学研究科航空宇宙工学専攻 原進教授

 この日の振動実験には大勢の学生がやってきていた。聞けば、工学部機械・航空工学科の原進教授による授業の一環だった。原さんは、どうすれば学生の学ぶ意欲を高めることができるのか、つまり、学生が授業中に寝てしまわないためにどうすればいいのか、映像を使ったり模型を見せたり、さまざまな工夫をしてきたが、到達した究極の方法が「教室ごと揺らす」だった。実験は2回行われ、学生は建物の中での揺れと、建物を支える免震装置の間近での観察の両方を経験する。振動は機械工学の中で重要な項目であり、実験後の講義で、こうした振動とその制御が教科書にどう書かれているのかを確認する。一昨年に始め、学生の関心が高かったため、昨年も引き続いて開催した。
 学生にとっては、教科書の内容がより生きた知識として身につくことだろう。原さんは、大規模な体験から始めて理論を学び、後に小さな模型実験を行う「V字型教育の試み」として論文発表したところ、新しい工学教育として注目された。国際学会での発表もめざしているという。「せっかくの実験装置が身近にあるのだから、教育にももっと活用されていい」と原さんは話す。
 防災に役立てるだけではない。先端的な施設の潜在力の大きさを示している。
 減災館はやはり、タダモノではない。

著者

辻 篤子(つじ あつこ)

1976年東京大学教養学部教養学科科学史科学哲学分科卒業。79年朝日新聞社入社、科学部、アエラ発行室、アメリカ総局などで科学を中心とした報道に携わり、2004〜13年、論説委員として科学技術や医療分野の社説を担当。11〜12年には書評委員も務めた。2016年10月から名古屋大学国際機構特任教授。

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