名大ウォッチ

新聞社で長く科学報道に携わってきたジャーナリストが、学内を歩きながら、
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 3月半ばに東京・上野の日本学士院で「ニホニウム命名記念式典」があり、理化学研究所が世界で初めて合成した原子番号113の新元素を「ニホニウム」と命名することが公式に宣言された。メンデレーエフが1869年に発表して以来、欧米勢が埋めてきた周期表に、初めてアジア生まれの元素が載ることになる。歴史的といっていい出来事である。その記念式典に参列して、さまざまなことを考えさせられた。
 まず思ったのは、もし合成がもう少し早ければ、日本人によってニホニウムの命名が宣言されたはず、ということだった。新元素を命名するのは化学の国連ともいうべき国際学術団体「国際純正・応用化学連合(IUPAC)」で、その現在の会長はロシア・メンデレーエフ記念化学工科大学のナタリア・タラソバ教授だが、実はその2代前、2012〜13年に会長を務めていたのが、名大物質科学国際研究センターの巽和行教授なのである。当日は、学士院会員として会場で式典を見守っていた。
 「惜しかったですねえ」。会場ではそんな会話も交わされた。実験で元素ができたのは、2004年7月、05年4月、そして7年後の12年8月。そして、その結果を認め、理研グループに命名権を与えるとIUPACが発表したのは15年の大晦日だった。おめでたいニュースが元旦の新聞紙面を飾る結果になったのだが、巽教授の前会長としての任期が15年末までで、なんとかその間にというはからいから、大晦日という異例のタイミングでの発表になったらしい。

祝賀会で森田浩介ディレクターは、「48人のチームの仕事」として仲間を紹介した(3月14日、国立博物館)

 もう少し早くなる可能性はあったのか。経過を簡単に振り返ってみたい。天然に存在する元素は原子番号92のウランまでで、93番以上はすべて人工的に合成するしかない。つまり、原子番号は原子核の中の陽子の数だから、足してちょうどその数になる原子核同士をぶつけてくっつける。というと簡単そうにも聞こえるが、ごくごく小さいもの同士とあって、簡単にはぶつからないし、くっついてもくれない。より強い力でぶつける必要があるが、強すぎてもくっつかない。しかも途方もない数の実験を繰り返して、たまたまくっついてくれるのを待ち受ける。
 理研の森田浩介グループディレクターのチームが実験を始めたのは2003年で、その翌年、翌々年と、それぞれ1個ずつ作ることができた。しかし、その寿命は1000分の2秒、すぐに壊れてほかの元素に変わってしまうのだ。113番ができたと申請したものの、さらにデータが必要とされた。ところが、その後は7年以上成果が得られなかった。苦しい時間だったろうが、森田ディレクターは「必ず来ると信じていた」と語り、式典ではついにできたときの気持ちを「『来たーっ』という言葉以外になかった」と振り返った。結局、400兆回ぶつけてできた元素はたった3個、気の遠くなるようなわずかな確率だった。
 3個目がもっと早くできてすぐに承認されていたら、巽会長が宣言した可能性は十分にある。一方で、もっともっと時間がかかっていた可能性だってある。思うようにはいかないのが、未知に挑戦する研究というものだろう。実は、ロシアと米国のグループもまた、別のやり方で113番元素を先に作ったと主張していたのだが、3個目が有力な証拠となって森田グループに命名権が与えられた。7年以上という時間は決して無駄ではなかったのだ。
 成果の出なかった7年という時間を支えたのは、野依良治理事長をはじめとする理研のトップだった、と巽さんはいう。森田さんは九州大教授でもあるが、大学ではとても無理だっただろうという。すぐには成果が出ない基礎的な研究をどう支えていくか、今後の大きな課題だ。

IUPACのナタリア・タラソバ会長(右)と元会長の巽和行・名大教授(パリにて。巽教授提供) 

 式典に話を戻すと、皇太子殿下がまず、「高校の夏休みの宿題で、元素の周期表を手書きで30枚以上大変な思いをして書いた」という思い出に触れながら、ご挨拶された。そして、タラソバIUPAC会長のほか、海外からは国際純粋・応用物理学連合(IUPAP)会長のブルース・マッケラー・メルボルン大学名誉教授、そして、ロシア核研究合同研究所のユーリ・オガネシアン教授も参加し、祝辞を述べた。IUPAPは、IUPACとともに新元素を誰が最初に作ったかを審査する合同調査委員会のメンバーを推薦する。周期表を扱うのは化学だが、元素を合成するのは物理実験なので、物理学の専門家が必要なのである。両会長とも超多忙で、日本滞在は1日あるかないかというスケジュールでの参加となった。オガネシアン教授は、今回113番とともに命名された3つの新元素にかかわった元素合成の大御所であり、そのうちの一つ、118番元素「オガネソン」にその名を残している。新元素が周期表に加わることの重みを感じさせる顔ぶれだった。
 タラソバ会長は、「化学は自然界における音楽。限られた元素数で奏でる音楽は宇宙の無限の美を創造する」とややロマンチックに語り、「自然の美を楽しみ、その過程で自分自身を知るという意味で『花鳥風月』という素晴らしい表現がある」と日本文化にも触れたうえで、「IUPAC会長として、113番元素がニホニウムと命名されたことをここに宣言する」と述べた。
 その後の日本側の来賓の祝辞は、日本学士院長を除けば、文科相、科学技術政策担当相、そして学術会議会長と、いずれも本人は欠席し、代読だった。国会が開会中だったことに加え、それぞれ事情があったのだろうが、残念だった。「日本政府は科学技術に力を入れている」という言葉がどこか空疎に響いた。

 日本には、新元素研究の歴史がある。小川正孝博士は1908年、英国留学中に発見した新元素ニッポニウムが周期表の43番に位置すると発表したが、これは当時未発見だった75番に位置する元素であることが後にわかった。新元素ではあったが、周期表の場所が違っていたためにニッポニウムの名は残らなかったのである。その後、東北大学の総長を務めながら、研究を続けたという。
 また、理研の仁科芳雄博士は1937年に日本で最初につくったサイクロトロンを使って、93番元素に崩壊すべきウラン237を発見したものの、その崩壊で93番元素を同定することはできず、93番元素の命名権は後に米国のグループに与えられた。仁科博士は後にノーベル賞を受賞する湯川秀樹、朝永振一郎両博士らを育てたことでも知られる。
 式典で紹介された先駆者たちの話を聞いて思い出したのは、2007年6月に東京で開かれた原子核物理学国際会議の開会式での天皇陛下のお言葉だ。仁科博士のサイクロトロンは戦後、GHQによって海に廃棄されるのだが、天皇陛下は2006年秋に理研で運転開始前の超伝導リングサイクロトロンを見学されたことを振り返りながら、「日本で初めて造られたサイクロトロンが、戦後海に沈められたときの仁科博士のお気持ちはいかばかりであったかと察せられます」と感慨を述べられた。生物学の研究者でもある陛下が、科学の進歩がもたらした明暗に言及しつつ、世界の平和と人類の幸せに貢献してほしいと結んだこのときの式辞は出席者に感銘を与え、国際学会誌に掲載されることにもなった。
 もし天皇陛下が今回の式典に臨まれたなら、改めて仁科博士の無念に思いをはせつつ、その後輩たちがついに成し遂げた業績を心から祝福されたのではないかと思わずにいられなかった。退位がとりざたされ、公務が縮小されつつある現在ではなく、何年か前なら、そんな機会もあっただろうか。

モスクワでの記念式典で新元素「リバモリウム」の命名宣言をする巽和行IUPAC会長(2012年10月 巽教授提供) 

 では今後、日本が合成した新元素の命名をIUPACの日本人会長が宣言する機会はあるだろうか。IUPACは、第一次世界大戦後の1919年、戦争の惨禍の反省に立ち、国際協調によって学術と産業の両面から化学の発展を促進しようというねらいで設立された組織で、巽教授によれば、日本は設立直後から積極的に関わってきた。1928〜30年には、日本の近代化学の礎といわれる桜井錠二氏が副会長を務めており、当時すでに日本の化学の実力が認められていたということだろう。もっとも、会長となると、1981〜83年に長倉三郎氏が務めて以来、100年近い歴史のなかで2人しかいない。2012年にロシアで大々的に行われた「フレロビウム」(114番)、「リバモリウム」(116番)の命名式典では、巽会長が命名宣言を行った。会長の任期は2年、巽さんの前は韓国、そしてロシアの現会長の次は中国と、両国から初めての会長が誕生し、アジア勢の進出がここでも目立っている。
 一方、新元素の合成は、伝統的にロシアと米国が共同で取り組んできている。今回113のほかに命名された3元素は、先に挙げた「オガネソン」(118番)のほか、「モスコビウム」(115番)、「テネシン」(117番)と、ロシアと米国の地名にちなむ名前がついている。近年はドイツも力を入れており、「ダームスタチウム」(110番)など地名にちなむ新元素が生まれている。今回、そこに日本が割って入った形だ。さらに重い元素の合成をめざして競争が激しくなっている。
 IUPACの日本人会長が日本生まれの新元素の命名を宣言する、そんな日も決して夢ではない?

著者

辻 篤子(つじ あつこ)

1976年東京大学教養学部教養学科科学史科学哲学分科卒業。79年朝日新聞社入社、科学部、アエラ発行室、アメリカ総局などで科学を中心とした報道に携わり、2004〜13年、論説委員として科学技術や医療分野の社説を担当。11〜12年には書評委員も務めた。2016年10月から名古屋大学国際機構特任教授。

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