名大ウォッチ

新聞社で長く科学報道に携わってきたジャーナリストが、学内を歩きながら、
大学の今を自由な立場で綴っていきます。

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2017年04月18日

小さなカフェから

 3月末、名古屋大学では卒業式を迎え、晴れがましい笑顔があふれたが、あるカップルにとっては喜びもひとしおの一週間だったに違いない。月曜日、彼が工学博士の学位を得たのに続き、木曜日には2人の婚姻届が受理されたとの知らせが届いたからだ。彼が博士課程に進んで5年余り、そして、婚姻届を出してからなんと3年もの時間がたっていた。
 時間がかかったのにはわけがある。彼はイラクからの留学生で、イラク人との国際結婚をどう扱うのか、前例がないために役所も試行錯誤、手探りで書類を整えざるを得なかったためだ。
 2人のドラマの舞台は、名大東山キャンパスの理学部の一角にあるクレイグスカフェである。ここは多くの学生、とりわけ留学生たちにとって心のオアシスのような場所になっている。彼らに寄り添ってきた店長の伊藤恵里子さんとイラク出身のモザッファル・ガサクさんの結びつきも、そんな中から生まれた。小さいけれど、名大にしっかり根をおろしたカフェを訪ねた。

クレイグスカフェに集う留学生たち

 手書きの英語のメニューに座り心地のよさそうなソファー、写真や絵の額で飾られた店内は、電球色の照明もあって、実に温かな雰囲気に包まれている。ある日の夕方、海外からの学生たちがテーブルを囲んでいる光景は、どこか海外の学生街にあるカフェを思わせた。
 種を明かせば米国のコーヒーチェーンの一店舗なのだが、そう思って訪ねれば、予想はいい方に裏切られる。雰囲気作りは、2012年4月に伊藤さんが店長としてこの店を任されたときにさかのぼる。このカフェはもともと、東山キャンパスに程近い南山大学にあり、伊藤さんは学生アルバイトとして働いていた。カフェが名大に移転した後に、店長となった。
 南山大のカフェはキャンパスの中心にあり、学部も国籍もさまざまな人たちが集う場所として賑わっていたという。名大にやってきてまず驚いたことは、理系と文系にはっきり分かれ、それぞれ研究室にこもりきりになっているように見えたことだった。店長になってすぐ、すべてのメニューを英語にした。訪れる人たちと言葉を交わすようになってさらに驚いたのは、たとえば留学生のもとに日本の年金や税金などの書類が送られてきても、それをどう処理すればよいかなど、だれからも教えられないままでいる学生が多いことだった。
 そうした書類のこと、先生とのこと、彼女や彼のこと・・・、カウンターをはさんでそんな会話が交わされ、留学生たちの相談室のようになっていった。伊藤さんを始め、スタッフの女性たちは皆、英語ができることもある。そして、豚肉を食べないイスラム教の人たち、あるいは、油を含めて一切動物性食品を食べない厳格な菜食主義者など、さまざまな必要に応じた食事を用意するうち、異文化との共存を意識するようになっていったという。

カフェのカウンターで笑顔を絶やさない伊藤恵里子さん

 名大では今や、8人に1人が留学生だ。その背景は実に多様で、同じイスラム教といっても、出身国によってずいぶん違うし、移民として欧州諸国などに移った人もまた違う。ふだんはその違いが目立つこともある彼らが、イスラム国が日本人を殺害した事件があったときなどはカフェに集まって肩を寄せ合っているように見えたこともある。社会からイスラム教自体が危ないと思われるのではないかという不安を感じていたのだろう。
 なんといっても言葉の壁は大きいが、日本語が大変上手なのに、日本人の友人ができないという悩みを打ち明けた学生もいた。日本人学生の側も、英語が得意でなかったり、心理的に壁があったりするのではないかと思い、留学生と日本人が日本語で会話する日本語カフェを2週間に一度、開くことにした。双方がほぼ半々ずつ、人数はさまざまだが、多いときには数十人が集まって話をした。
 そうやって学生として通い続けた人、あるいは研究のために滞在していた人たちに、去る前にガラス窓に白いペンでメッセージを書いてもらっている。「哲学の窓」と呼ぶその窓には、感謝の言葉、アインシュタインの言葉、数式、そして米航空宇宙局(NASA)の火星探査機のデータもある。
 中には、伊藤さんがはっと胸をつかれた言葉もあった。学部を卒業したインド人の女性が書いた「名大という砂漠の中で避難できる唯一のオアシスだった」という趣旨の言葉だ。彼女が毎日のようにカフェにやってきていた姿を思い出し、大変なときをすごしていたのだなと改めて思った。彼女と言葉を交わしていたことが多少は役に立っていたのもしれないとも。無事に卒業できて本当によかったと思った。

伊藤さん(左)と、博士号を取得したガサクさん

 晴れて夫となったガサクさんは、伊藤さんが店長として着任したその日にやってきたお客さんだった。南山大で哲学と宗教社会学を学んだ伊藤さんと話が合い、毎日のように会話を交わすことになった。
 イラクのフセイン政権下では博士号を取ると、命の危険があり、現に親族で何人もが犠牲になった姿を見てきた。このため、ガサクさんは土木工学の修士号にとどめ、海外で博士号を取ることを夢見てきたという。運良く試験で全国トップクラスの成績を修め、日本に留学できることになったのだが、名大の工学研究科に入学した当初は研究室でうまくいかず、追い詰められていた。
 長い博士課程のなかで、果たして自分に才能があるのかという自問と焦り、テロや内戦で崩壊していく母国で命の危険にさらされている家族への思い、さまざまなことを日々背負っていたガサクさんの葛藤の日々をカウンターから見つめてきた5年だったと伊藤さんは振り返る。
 婚姻のために必要な、たとえば重婚でないことを証明する書類などは、イラクに戻れば手に入るが、とても帰れる状況ではない。国にいる親族に頼んでなんとか書類を整えてもらったりしたことも、婚姻届が認められるまでに時間がかかった原因だった。 

 ガサクさんのように、留学生ビザで国を出たものの、紛争などで母国に帰れなくなり、事実上の難民となった学生も少なくない。見えない壁のようなものに阻まれ、外国人として苦しい立場におかれていた留学生たちも多く見てきた。
 そうした留学生たちと接するなかで、伊藤さんは「名古屋大学でカフェをやらせてもらっていることの意味」を考えるという。助けになれるならどんな小さなことでもやりたい。そんな思いから、「科学と文化と人の国際交流サロン」をミッションに掲げ、留学生たちがほっとできる環境作りを心がけてきた。
 そんな伊藤さんが今、願っていることがある。伊藤雅咲という日本名もでき、博士となったガサクさんの将来の希望は教職につくことだ。日本語ができないガサクさんは欧米の大学に職を求めることになるかもしれない。そしてもし、伊藤さんが名大を去ることになったとしても、ぜひ今のようなクレイグスカフェが続いてほしいということだ。さまざまな背景や事情を抱えた留学生たちの支えは多ければ多いほどいい。その意味で、クレイグスカフェは名大にはなくてはならない場所であることは間違いない。
 それにしても、誰に頼まれたわけでもない。なのに、そこまで伊藤さんに思ってもらえる名古屋大学は幸せ者だ。

著者

辻 篤子(つじ あつこ)

1976年東京大学教養学部教養学科科学史科学哲学分科卒業。79年朝日新聞社入社、科学部、アエラ発行室、アメリカ総局などで科学を中心とした報道に携わり、2004〜13年、論説委員として科学技術や医療分野の社説を担当。11〜12年には書評委員も務めた。2016年10月から名古屋大学国際機構特任教授。

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