名大ウォッチ

新聞社で長く科学報道に携わってきたジャーナリストが、学内を歩きながら、
大学の今を自由な立場で綴っていきます。

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 名大と言えば?
 「ノーベル賞」かもしれないが、東京の知人たちからは「名大と言えば、アジア」、そして「名大と言えば、女性」という答えが返ってきた。後者はもっぱら女性からだったが、松尾清一総長が昨年、中国でインタビューを受けた際のテーマはノーベル賞と男女共同参画だったそうだ。名大の男女共同参画の取り組みは、国内外で名大の代名詞といえるほどに知られているようだ。

 その名大の男女共同参画が今、一つの大きな節目を迎えている。まず、男女共同参画室が7月1日から男女共同参画センターに格上げされ、従来の支援業務だけでなく、研究や教育も行い、国内外での様々な活動の拠点としての機能を担うことになった。10月末にはジェンダー・リサーチ・ライブラリが開館する。ジェンダー関連の書籍最大4万冊を収蔵、こちらも名大のみならず広く国内外のジェンダー研究や教育の拠点とする計画だ。東山キャンパスの山手通り沿いで建設が進む2階建てのビルは、篤志家の寄付によるという。
 一方、やはり篤志家の寄付により、ジェンダー平等支援基金も6月にスタートした。苦労した経験を持つ女性が、女性研究者の数を増やすために役立ててほしいと数千万円を寄付、それを基金として活用する。名大基金としては、女性リーダー育成支援事業を目的とした基金が昨年スタートしており、合わせて一般からの寄付を募り、女性を支援するさまざまな事業を展開していくことになる。
 大学は、こうした人々の思いに支えられているのだということ、そして、大学に寄せられる期待はそれだけ大きいのだと改めて思う。

男女共同参画センター長に就任した束村博子・生命農学研究科教授。専門は生殖科学。

 名大での男女共同参画の取り組みは今世紀初めころにさかのぼる。1999年に男女共同参画社会基本法が施行され、それを受けて、2001年度に評議会で「名古屋大学における男女共同参画を推進するための提言」が決定された。続いて03年には男女共同参画室も創設された。全国の大学の中でも非常に早く、女性の活躍を大学の活性化につなげようという、トップダウンで始まった動きだったという。その後、とりわけ理系の女性研究者を増やすことが大きな課題となり、私も取材していたが、名大は業績が同じなら女性を採用するというポジティブ・アクションを打ち出し、逆差別ではないかという声も上がって話題になっていたことを思い出す。この方針は今も掲げられている。
 その後も、研究リーダーを採用するための女性枠を設けたり、学内に保育園や学童保育所をつくったりするなど、女性研究者を増やし、支援するための環境整備を全国の大学に先駆けて進めている。国立大学協会が今年発表した統計によれば、名大の女性教員の比率は17.8 %で、まだまだ少ないとはいえ旧帝大と呼ばれる七大学の中ではトップだ。他大学からの視察も多く、私が男女共同参画室を訪ねた6月末、ちょうど東京女子医大から3人の視察団が訪れ、熱心に話を聞いていた。
 初代男女共同参画センター長となった束村博子・生命農学研究科教授は、2000年当時から携わり、長く男女共同参画室長を務めてきた。これまでの歩みを振り返り、「女性にとって働きやすい職場は誰にとっても働きやすいはず。それは、大学にとって何より大切な多様性を育むために不可欠。そんな思いでこれまで懸命に取り組んできたし、これからもっともっと進めていく必要がある」と抱負を語る。

 一方、総長が中国でインタビューされたように、国際的に知られているのは、2015年に国連機関「UN Women」の「HeForShe」事業で世界のリーダー大学10に日本から唯一、選ばれたためだろう。ほかには英国のオックスフォード大学、レスター大学、米国のジョージタウン大学、またアジアからは香港大学、またブラジルのサンパウロ大学なども選ばれ、「IMPACT Champions」として、女性の参画を進めるうえで積極的な役割を果たすことが期待されている。
 そもそもなぜ名大が選ばれることになったのか。きっかけは、世界で活躍する女性リーダーを育成するプログラムの一環として学生たちが国連機関を訪ねたりしているうちに名大の活動が知られたことらしい。その後、国連からの要請でさまざまな資料を提出し、審査の末に選ばれた。やはり日常的に活動の幅を広げていてこそ、世界的なネットワークに入っていくきっかけがつかめるということだろう。

キャンパスに掲げられた、トップ10大学に選ばれたことを示す看板

 リーダー大学として、三つのCommitments(目標)を掲げている。2020年までに女性リーダー(管理職)を20%にする、男女共同参画推進のための産学官連携を推進する、そして、男女共同参画推進のためのセンターを創設することだ。その結果としてまず、センター化が実現した。03年に参画室ができた際にいずれセンターにという声もあったといい、10大学に選ばれたことがはずみになった形だ。
 担当の副理事である岡田亜弥・国際開発研究科教授によれば、選ばれた結果、名大に対する国際的な注目度、そして期待は高まっているという。昨年、英国のある団体からの依頼で、科学者をめざす日英の女子高校生の交流イベントが初めて名大で開かれた。さまざまな場への招待や参画を求められることも増えており、「責任は重大です」と話す。
 HeForSheはその名が示す通り、性別によらず、だれもがその能力や個性を発揮できる社会にするためには、とりわけ男性の力が重要だ、というものだ。ジェンダーの平等は単に女性だけの問題ではなく、女性による女性のための運動というこれまでの認識は改めなければならないとしている。

HeForSheの責任者を務める岡田亜弥・国際開発研究科教授。国連勤務の経験もあり、専門は途上国での人材育成など教育開発。

 それを聞いて思い出したことがある。米国でも屈指の理工系大学であるマサチューセッツ工科大学(MIT)がかつて、学長の強いイニシアティブで女性研究者が被っている不利益を是正し、女性研究者を増やそうという動きを始めたことだ。
 私が科学を担当する特派員としてワシントンに駐在していた1999年のことだ。理学部の女性研究者が、彼女たちの研究室の広さ、スタッフ数、給料などを詳細に調べ、男性と比較したレポートを発表したのだ。明らかに差があり、女性たちは不利な状況にあることがデータではっきり示されていた。その報告を受け、チャールズ・ベスト学長は「この報告を読み、熟考し、行動してほしい」とMITの全教員に向けて語りかけた。名門大の学長が男女の格差を率直に認めたとあって、このニュースは全米が注目するところとなり、米国をあげて女性研究者を増やす取り組みを進めるきっかけともなった。そのとき、ベスト学長が「我々は科学者だ。データが示されたら、それに基づいて行動する」と語っていたのを思い出す。15年にわたって学長を務め、新しい時代に向けての変革を主導したリーダーとしてその名を残すベスト学長にとって、キャンパスの多様性は重要課題の一つだった。

米工学アカデミー会長として、工学教育をめぐるシンポジウムで論者を紹介するチャールズ・ベスト氏(2012年10月)。MIT学長退任後、要職を歴任した。 

 この報告から10年余り、MITの女性研究者に関する新たな報告書が2011年に発表された。理学部の女性教員は30人から52人に、工学部は32人から60人に、それぞれ2倍近くに増え、待遇上の格差はほぼ是正されていた。それまでは皆無だった学部長などの主要ポストにつく女性も現れ、何より2004年には女性の学長も誕生した。先のレポートをまとめた女性研究者たちも「とても想像できなかった」と驚くほどの変化だった。1989〜90年、MITのジャーナリストプログラムで滞在したころに男性カルチャーを実感した私にとっても、大きな驚きだった。
 とはいえ、これで問題がすべて解決したわけではない。女性の採用を増やすことは水準を下げているわけではないことの理解ももっと必要だし、子育ては女性の問題という意識が依然として強いなどの声もあったそうだ。前者については、要は、探す範囲を広げることで水準は保てるとしている。なお、MITは現在、学部生の45%が女性、教員の女性比率は21.9%となっている。理工系大学らしく、証拠に基づいてまさにHeForSheの力が発揮されたといえる。

 MITのお隣、ハーバード大では2007年、女性に関する発言を批判されて辞任したサマーズ学長の後任として、初の女性学長が誕生した。これでアイビーリーグと称せられる名門大8校のうち半分が女性学長となった。加えてMITも女性学長であり、大統領、副大統領に次ぐ地位の下院議長にも初めて女性が就任、ヒラリー・クリントン氏は大統領をめざしていた。こうした米国に加え、世界でも女性活躍の新しい風が吹き始めていたことから、日本もぜひ後に続いてほしいと「ガラスの天井を打ち破れ」と社説を書いたこともある。
 アイビーリーグの大学としては初の女性学長が1994年に誕生したペンシルベニア大で2代続けて女性学長となったガットマン学長にインタビューした際、男性のトップによって女性リーダーが育てられてきたと語っていたことが印象に残っている。

 名大もIMPACT Championとして、今こそHeForSheの出番だ。世界の目も注がれている。

著者

辻 篤子(つじ あつこ)

1976年東京大学教養学部教養学科科学史科学哲学分科卒業。79年朝日新聞社入社、科学部、アエラ発行室、アメリカ総局などで科学を中心とした報道に携わり、2004〜13年、論説委員として科学技術や医療分野の社説を担当。11〜12年には書評委員も務めた。2016年10月から名古屋大学国際機構特任教授。

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