名大ウォッチ

新聞社で長く科学報道に携わってきたジャーナリストが、学内を歩きながら、
大学の今を自由な立場で綴っていきます。

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 名古屋大学に関して特筆すべきことの一つに名古屋大学出版会の存在がある。東京の知人からそう聞いていた。小さいながら、「学術書の出版賞受賞の打率は抜群に高く、優れた出版を続けている」という。その秘密を探ってほしいと託されてもいた。
 その出版会について、8月13日付け毎日新聞の書評欄に「本書を出版した団体の意欲と勇気」、そして「今学術出版でこれほどの覇気を見せているのは他に見当たらない」と、これ以上ないくらいの賛辞が捧げられていた。取り上げられた本は「原典 ルネサンス自然学」、上下巻それぞれ約650ページ、税込で9936円という大部かつ高価、しかも極めて学術的な内容である。それをあえて一般向けの書評欄で紹介したのは、内容に加え、上記のような出版事情を書きたかったからだと記されていた。
 この本は「万物をめぐる知の総体を集成」とうたい、ニュートン、ケプラー、ボイルといったいわゆる科学者の著作だけでなく、料理や温泉、錬金術なども含めた同時代の代表的な学術文献を合計30編、初訳で収めている。学術的だが、決して一般読者を拒絶するものではない、そんなたたずまいである。それでも、出版不況と言われて久しい現在、これだけの本を出版するのは確かに勇気を要することではあるのだろう。

 それほど評判の高い名大出版会とは?
 と思ったら、いきなりつまずいた。実は、名古屋大学・出版会ではなく、名古屋・大学出版会なのだという。名大という略称はふさわしくないのだ。
 1982年に創設された際の目的は、「名古屋大学及び中部地方の各大学」の教職員らの研究成果の発表や、民間では採算上引き受けないような優良学術図書の刊行を行い、「中部地方の、さらにはわが国の学術・文化の振興に寄与する」ことで、地域に広く協力を募った。同出版会10年誌によれば、当時、学術出版はどん底と言っていい時期であり、また極端な東京一極集中のもと、名古屋でうまくいくか、先輩格の大学出版関係者は固唾をのむような気持ちで発足を見守ったとある。地域の力を結集することが不可欠であり、実際そうすることによって成功にこぎつけた、ともある。会長は名大総長、理事長は名大教授が務めるが、地域の大学の学長が現在も評議員としてその名を連ねている。
 そして現在、一般財団法人として、東山キャンパスの豊田講堂脇、自前で建てた名大広報プラザの建物に賃貸料を払ってオフィスを構えている。編集部員6人、総務・営業3人の小さな所帯である。
 専務理事と編集部長を兼務する橘宗吾さんを訪ねると、著者は「おおよそ名大が3分の1、中部地域が3分の1、それ以外が3分の1」ということだった。地域に軸足は置きつつ、必要に応じて広げる、ということだろう。その結果が、毎年30数点の書籍を刊行し、今年8月末までの累計刊行点数883、さまざまな団体や学会の賞など受賞件数174、という実績だ。複数受賞もあるが、刊行点数に対する受賞割合はざっと2割になる。確かに「抜群に高い打率」である。

編集部長の橘宗吾さん

 「その秘密はどこに?」と尋ねると、橘さんはこう答えた。
 「よく聞かれますが、特にありません。受賞が多いのは、著者の一番いいところを出してもらっているということでしょうか。出版社としては賞をめざしているわけではなく、とにかくいい本を作ることだけです。テーマがいいこと、さらに書きぶりも大切です」
 研究者からの出版の相談も多いが、それだけではなく、編集部で考えたテーマでふさわしい書き手を探し、本にする。昨年夏に出版された橘さんの著書「学術書の編集者」(慶應大学出版会)には、最初の構想から実に10数年、「長い長い因縁」を経てまさにぴったりの著者にたどり着き、「漢文脈の近代」(齋藤希史著)という本が出来上がるまでの過程が紹介されている。この本も50歳以下の若手を対象とするサントリー学芸賞を受けた。
 テーマにふさわしい、そこにしかいない著者を探し当てて行くと、結果的に先にあげたような地域バランスになる、というわけだ。さらに、「名古屋は優秀な人が来ては去っていく場所」と橘さんが先の著書で書いているように、人の行き来が比較的自由な名古屋という土地柄が、地域的な広がりを生む結果にもなっている。

 読者想定はどうか。橘さんは「いわゆる専門から少し広いところまでを含んだ形を考えている」という。むろん一部の医学書など読者が専門家に限られるものもあるが、人文社会科学の場合は世の中一般の関心事が核になっていることが多いから、専門から少し踏み出して、ある程度広がりを持ったものに十分なり得るし、そうしてこそ、学術書であっても広い範囲の人に読んでもらえる。
 かつては、大学人が出版を通じて広く専門を超えた発言をしていた。しかし、学問が細分化していく一方で、専門家と非専門家との間の線引きが強くなりすぎて、専門を超えた発言がしにくくなってきているのでは、という。とはいえ、専門の周辺分野も当然知っているので、ある程度の専門性を持った発言はできるはずだ。時に批判を受けることも含めて社会に問うのが知識人としての役割であり、そこを強化していく必要があるというわけだ。
 実際、明らかに専門の範囲を超えた売れ行きを示している本もあり、違う分野の読者にも読まれていることがわかる。その一方で、社会の関心事に実証的に答え得る内容なのに売れ行きは今ひとつ、もう少し売れて欲しかったなと思うこともあるそうだ。

名古屋大学出版会の入り口には、最近の受賞作が展示されている

 では、どのようにして専門分野から広げていくのか。
 隠岐さや香・経済学研究科教授が2011年に出版した「科学アカデミーと『有用な科学』」は、パリ王立科学アカデミーを中心とした18世紀フランスの科学技術と社会を分析したもので、博士論文が元になっている。隠岐さんは書籍化に当たり、先輩研究者など周囲の助言で自分なりに社会のニーズを想定し、かなり原稿の方向性を変えることも覚悟していたのだが、編集者としての橘さんの判断はその予想を裏切り、元の方向性の方が一般にも受けるというものだった。革命期についての章があった方が面白いとの助言で1章を加筆したが、当初の想定よりも少ない加筆ですみ、ありがたかったという。
 「社会のニーズといっても、皆が何となく想定するようなものではなく、ちょっと先を読んでいる感じがあった。プロだな、と感じたのを覚えています」と話す。
 この本は、サントリー学芸賞、日本学士院学術奨励賞などいくつもの賞に輝き、出版当時、広島大学准教授だった隠岐さんは2016年4月、名大経済学研究科初の女性教授となった。隠岐さんが研究上のアドバイスを受けた一人が名大教授で、その紹介を受けた橘さんが隠岐さんの研究発表を聞き、書籍化につながった。その糸が、東大出身の隠岐さんを名大に結びつけたといえようか。

 ここでもう一つ、名古屋大学出版会の本の特徴がある。隠岐さんの本も500ページを超えているが、冒頭に挙げた例のように大部の本が多いことだ。日本の大学出版会では、300ページ程度を基本にする会社もあるなど分厚い本を出すところは決して多くない。橘さんは、米国の大学出版会は大部の本にも意欲的に取り組んでいるのを見て、長いものを書ける人には書いてもらおうと思ったのだそうだ。大部になると、内容も書き方も、より要求は厳しくなる。著者には頑張ってもらわないといけないし、作る側もしんどい。経済的なリスクも大きくなる。少なからぬ「意欲と勇気」を要するということだろう。
 まさに学術書の編集のプロとしての仕事ぶりだが、橘さん自身は「研究者が圧倒的に長い時間とエネルギーをかけてやってきたことを書くのだから、こちらでできることには限りがある。ただ、出す時の形は大事なので、読者として読んで感じたことを伝えたい」と話す。あくまでも、学術としての専門性を尊重しつつ、社会に対する提示の仕方を助言する。研究者からの信頼が厚いゆえんだろう。
 「大変ありがたい存在であり、名古屋大学は出版会のおかげで救われている」。こう話すのは、出版会の理事、そして理事長として出版会に長年関わり、また自著の出版の経験もある石井三記・法学研究科長だ。

 橘さんは京都大学でフランス文学を学び、恩師の紹介もあって卒業後すぐの1989年、出版会に就職した。97年からは編集部の責任者ともなり、大学の研究現場を訪ね歩き、見続けてきた。
 最近、気になることがあるという。短期的なプロジェクト型研究が増えるにつれて、若手にしわ寄せがいっていることだ。余裕を持った研究ができなければ、専門から周囲に広がりようもない。今のやり方は、これまでの学問的蓄積を食いつぶすだけで、「過去と未来へのフリーライドだ」という。
 また、同じ大学の中でも、分野が違うと交流の機会も少なく、ほとんど異星人のような感覚を持っている研究者も少なくない。そして、そうした傾向が強まっていることも気がかりだ。分野ごとに、知識や学問の形が違えば、研究者の行動様式も異なる。そうした違いを認め、少なくともリスペクト(敬意)を持つことが、今後の学問の発展のためにも欠かせないのでは、という。

 大学出版会は、大学から外に向けて開かれた窓であると同時に、実は内部に向かって開かれた窓でもあるということだろう。ちょっと目を開けば、お隣にはこんな豊かな世界が広がっているんですよと。キャンパスの中にあるせっかくの窓を、勇気と意欲に満ちた窓を、生かさない手はない。
 同時に、窓にはこれからももっともっと、学術の豊かな世界を多くの人に届けてほしいと思う。

著者

辻 篤子(つじ あつこ)

1976年東京大学教養学部教養学科科学史科学哲学分科卒業。79年朝日新聞社入社、科学部、アエラ発行室、アメリカ総局などで科学を中心とした報道に携わり、2004〜13年、論説委員として科学技術や医療分野の社説を担当。11〜12年には書評委員も務めた。2016年10月から名古屋大学国際機構特任教授。

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