名大ウォッチ

新聞社で長く科学報道に携わってきたジャーナリストが、学内を歩きながら、
大学の今を自由な立場で綴っていきます。

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 電気自動車(EV)に自動運転、将来の車のあり方をめぐる話を聞かない日はない。「狂騒曲」とまで言われるほどの過熱ぶりである。何がどう広がっていくのか、どこの誰がリードすることになるのか、その行方はまだ混沌としているが、車というものが大きく変わり、引いては自動車産業の姿も一変しかねない。競争は激しく、関心も集まるゆえんだ。
 そうした中、名大で行われたある発表を聞いて、将来の車がどういう形になるにせよ、必要とされる技術があることに気づかされた。車体をできるだけ軽く作る材料である。軽ければそれだけ燃費はよくなる。とりわけ、電池の重さが現状ではガソリンエンジンの何倍にもなるEVにとっては、車体が軽ければそれだけ走れる距離が長くなるため、軽さはきわめて重要だ。EVの影の主役と言えるかもしれない。
 その有力候補が炭素繊維を用いた複合材料である。炭素繊維は日本で発明され、国内3社で世界の約6割のシェアをもつ。「鉄より強く、アルミニウムより軽い」のが特徴で、いずれは金属の代替にという期待がかかる。だが、作るのにコストがかかる上に加工しにくいなどの難点があり、この半世紀余り、釣竿からゴルフクラブなどスポーツ用品、そして航空・宇宙分野へと少しずつ用途を広げてきた。10年前にはボーイング787の機体の半分に使われるところまできた。量産車の構造材として使われるようになれば、金属に代わる素材として炭素繊維の利用がいよいよ本格化することを意味する。もっとも、そのためには大幅なコストダウンなどまさに桁違いの技術が必要になる。名大を中心に産業界も加わったチームが挑戦しているのはそこだ。日本の車の将来のためにも負けられない戦い、という。

公開されたCFRPのシャシー(手前)とモデルとなったアルミ車(2017年 10月16日、名大NCC)

 10月半ばに行われた名大ナショナルコンポジットセンター(NCC)での発表は、炭素繊維強化プラスチック(CFRP)を大型のプレス機に入れ、車のシャシー(車台)を1分で成形するのに成功したというものだった。熱で硬くなるタイプの樹脂を炭素繊維に混ぜる方法がすでに実用化されているが、固めるのに6分以上かかっていた。今回は、温度管理などが難しいが、時間を大幅に短縮できる、熱で軟らかくなるタイプの樹脂を使った。この方法で実際にシャシーを作ったのは世界で初めてという。モデルにしたのはアルミ製のスポーツカーで、もともとスチール製より約30%軽いが、45kgのシャシーをCFRPでは40kgと、さらに10%軽くすることができた。
 ちなみに、航空機用のCFRPの構造材は熱で硬くなるタイプの樹脂を使っており、オートクレーブと呼ばれる大型のお釜のようなもので10時間かけて焼き上げる。強度も高くよりよい性能のものができるが、車にはそれだけのコストはかけられない。プレス機で1分で成形でき、スクラップが出ず、また溶接ができることなどが大量生産を可能にするために必要な条件だ。今回、それを実証できたと石川隆司特任教授はいう。
 プロジェクトには、トヨタ、ホンダ、スズキなどの自動車メーカー、東レ、三菱ケミカル、東邦テナックスの炭素繊維メーカー、そして、コマツなどの機械メーカーも参加している。

炭素繊維のロール。炭素繊維は太さ約5μ、人の髪の毛の10分の1ほどだ。

 そもそも炭素繊維とは何か。炭素で繊維を作れば、強くて軽いし、錆びない。いいことづくめだが、どうやって作るのか。世界でさまざまな試みが行われてきたが、今につながる作り方を最初に発明したのは、大阪工業試験所の進藤昭雄さんだった。簡単にいうと、炭素、水素、窒素でできたポリアクリロニトリル(PAN)というアクリル繊維の原料から水素と窒素を飛ばし、炭素だけにして焼く。そのまま焼くと融けてしまうので、融けなくするための工程を入れたのが特徴だ。進藤さんが1959年に出願した特許に基づいて作られるPAN系と言われる炭素繊維が、さまざまな改良を施されながら今日も主流になっている。
 進藤さんの発明に触発され、同じPAN系でもより良い材料を見つけて工夫し、長年にわたって開発を進めてきたのが東レを筆頭とする日本企業だ。ボーイングの航空機には、独占的に東レのCFRPが使われている。
 CFRPの比重は1.8、鉄の7.8はもちろん 、アルミニウムの2.7に比べてもはるかに軽いのが大きな魅力だ。

炭素繊維と樹脂を混ぜて押し出したもの。フトンと呼ばれ、これをプレス機に入れて成形する。

 むろん、世界のライバルとて黙ってはいない。炭素繊維そのものの生産では依然大きなシェアを握っている日本勢だが、自動車などへの応用面では欧州の企業群に後れをとっていると石川さんはいう。
 とりわけ進んでいるのはドイツの自動車メーカーBMWだ。CFRPをボディーなどに使ったEVの量産をすでに始めている。ガソリン車の現行モデルでも、金属の補強材などとしてCFRPを適材適所で積極的に取り入れている。先述した熱硬化性の樹脂を使っているため、部品の成形に10分近くかかるなど、高価なのが難点だ。
 石川さんたちが使っている方法も、もともとはドイツのフラウンホーファー研究機構で開発され、ガラス繊維を使った強化プラスチックの製造ではすでに実用段階に入っている。この方法を炭素繊維に応用してCFRPを成形する技術では、今回の発表にあったように、世界の先頭に立つ。炭素繊維の研究に長く取り組んで来た企業も含めた総合力がものを言った、と石川さんはいう。
 ただ、安閑とはしていられない。欧州の際立った特徴は、多くの中小企業がさまざまな部品の開発などに取り組んできており、日本に比べるとこうした企業の層がはるかに厚いことだ。複合材料の研究は大学などでも活発に行われている。航空機産業を背景にした航空系の学科が多く、そこから技術や人材が広がっている。
 日本では航空系の学科は少なく、炭素繊維の研究はもっぱら東レなど繊維メーカーで進められてきた。工学部航空学科出身の石川さんは大学院で恩師に複合材料の将来性を説かれ、この研究に入った。東レが量産を始めた頃だったが、当時はまだ航空機に使えるとは思っていなかったそうだ。科学技術庁の航空宇宙技術研究所(現・宇宙航空研究開発機構)で長く炭素繊維の研究に取り組み、2012年に名大に移った。翌13年のNCC創設、そしてプロジェクトの立ち上げ・運営を主導してきた。自動車、そして航空機産業のメッカである名古屋で、できるだけ多くの企業に参入してもらい、層を厚くしたいという。

石川隆司特任教授。背後にあるのは、共同研究をしてきた米航空宇宙局(NASA)からの感謝状。

 このプロジェクトは新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)の事業の一環でもあり、10年計画の半分が過ぎたところだ。今後、さらに性能を上げる研究を進めるとともに、企業では実用化に向けた研究に取り組むという。
 もう一つ、同じNEDOの影山和郎・東大教授を中心に産業界も加わったプロジェクトでは、「革新的炭素繊維」の開発をめざしている。炭素繊維を作るには大量のエネルギーを必要とする。EVの量産を始めたBMWは、米ワシントン州で水力発電を行い、世界で最も安い電気を使って繊維を焼くことでコストを抑えているほどだ。とりわけ大量のエネルギーが必要なのは繊維を融けなくするための工程なので、こちらのプロジェクトはこの工程をなくし、必要エネルギーを半減させる新技術の開発を進めている。いわば、進藤さんの方法を超えることになる。ほぼめどはついているという。
 両方の技術を合わせ、CFRPを使った量産車の実現にいち早くつなげるのが目標だ。

 モノでもエネルギーでも、本当の意味で環境にやさしいかどうかは、作るところから廃棄するところまで全体で考えなければならないことはいうまでもない。その意味では、車を巡っても、課題はまだまだたくさんある。これからどんな技術が残っていくのかはわからない。
 「技術は怖い」。名大で長く自動車工学に関わってきた石田幸男特任教授がしみじみこう語っていたのを思い出す。かつて、セラミックスを使ったエンジンが未来のエンジンとしてもてはやされていたことがあったが、結局消えてしまった。セラミックスは今や、車の排ガスを浄化するフィルターとして大活躍で、日本ガイシが世界でトップシェアを握っている。
 これからどんな技術が登場し、育っていくのか。大学はそんな新しい技術の芽が生まれるところでもある。大いに楽しみにしたい。

 大きな功績を残した進藤さんは昨年10月、90歳で亡くなった。工学分野での著名な国際賞として、米国の工学アカデミーが1989年に始めたドレイパー賞や2013年から隔年で贈られている英国のエリザベス女王工学賞などがある。いずれも工学分野のノーベル賞をめざして創設されたもので、近年は日本人受賞者も出ている。進藤さんの受賞はかなわなかったが、金属に代わる材料として本格的に使われる時代になったら、将来世代にはぜひ、最初の一歩を記した先駆者の功績に思いを馳せてほしいと思う。

著者

辻 篤子(つじ あつこ)

1976年東京大学教養学部教養学科科学史科学哲学分科卒業。79年朝日新聞社入社、科学部、アエラ発行室、アメリカ総局などで科学を中心とした報道に携わり、2004〜13年、論説委員として科学技術や医療分野の社説を担当。11〜12年には書評委員も務めた。2016年10月から名古屋大学国際機構特任教授。

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