名大ウォッチ

新聞社で長く科学報道に携わってきたジャーナリストが、学内を歩きながら、
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 ピラミッドの中に大きな空間を発見したという名古屋大学の研究発表は、世界的な大ニュースとなり、耳目を集めた。その話をさらに聞くうち、ピラミッドに負けず劣らず興味をそそられたのは、発見に使われた原子核乾板をめぐる過去から未来に至るストーリーである。原子核乾板といっても、今や薄いプラスチックの、いってみれば写真のフィルムである。研究の世界では、カミオカンデに代表されるような、とらえた信号を電気に変換してリアルタイムで検出するデジタルのシステムが主流となり、原子核乾板は使われなくなっている。デジカメ全盛時代のアナログのフィルムカメラのようなものだが、そんな時代遅れとも見える技術が大ヒットを飛ばしたのである。実はピラミッドではデジタルのライバルもいたが、電源は不要でしかも小さな空間にも置ける長所を持つ、いわばローテクが先んじる結果になった。
 なぜ原子核乾板にこだわるのか。銀塩フィルムの写真に深い味わいがあるように、原子核乾板には解像度が高い、つまりより細かく見られるという圧倒的な強みがあるからだという。原子核乾板とともに歩み、ノーベル賞を受賞した小林・益川理論の誕生にもつながった名大の素粒子研究の伝統もある。フィルムメーカーが生産をやめてしまっても、研究室でその技術を学んで工夫を重ね、フィルムの読み取り装置も含めて世界に例のない最先端システムを作り上げた。なかなか許可が出ないピラミッド内部の調査が許されたゆえんだ。
 そして今、構造物の内部を見る手段として、フィルムメーカーが改めて注目しているという。事故を起こした東京電力福島第一原子力発電所の原子炉や火山の内部を見た実績もある。期待されるのはたとえば、トンネルや橋などさまざまな土木構造物の非破壊検査だ。実現すれば、こうした構造物の劣化が懸念されるなか、大きなビジネスになる可能性があるのだ。

空洞が見つかったクフ王のピラミッド

 まず、どうやってピラミッドの中を見るのか。
 簡単に言えば、「宇宙線を用いたレントゲン写真」と、この研究のリーダーである名大理学研究科の森島邦博特任助教は言う。宇宙から降ってくる宇宙線の中のミューオンという粒子は、レントゲンに使われるX線に比べてもはるかに高い透過力を持ち、エネルギーが高いほど分厚い物質を通り抜けることができる。見たい物体の下に原子核乾板、すなわち写真フィルムを置き、通過してきたミューオンで「感光」させる。フィルムを現像してその像を解析すれば、ミューオンをさえぎる物質がどのように分布しているかがわかる、というわけだ。
 原子核乾板では、0.2ミクロン(1ミクロンは1000の1ミリ)という極めて高い解像度が得られる。デジカメでおなじみのCCD(電荷結合素子)は光を受けて電気信号に変える。素子を小さくして詰め込んだ方が解像度は上がるが、小さいと感度が下がる。そのバランスから、解像度は原子核乾板の10分の1程度だ。
 さらに、臭化銀の乳剤を塗ったフィルムの感光層には数十〜数百μの厚みがあり、その中を粒子が通過していった軌跡を立体的に見ることもできる。CCDはもちろん、平面でしか見えない普通の写真とも大きく異なる利点だ。「銀塩フィルムという古い技術ですが、これ以上よく見えるものはありませんから」と森島さんはこだわりの理由を明快に語る。

フィルム状の原子核乾板を手にする森島邦博特任助教

 原子核乾板を使った名大の研究の歴史は半世紀を超える。最初の大きな業績は1971年、今年1月に亡くなった丹生潔名誉教授による基本粒子クオークの一種、チャーム粒子の発見だ。当時、クオークは3種類しか知られていなかったが、そのいずれとも違うものを発見、X粒子と名付けた。しかし、1例だけだったこともあって世界的には広く認められなかった。74年に加速器を使って米国のグループがこの4番目の粒子を発見、チャームと名付け、76年にはノーベル物理学賞を受賞した。華々しく加速器時代の幕開けを告げる出来事ともなった。
 だが、73年に小林誠・高エネルギー加速器研究機構名誉教授と益川敏英・名大特別教授がクオークは六つとする大胆な理論をまとめる際には、大きな役割を果たした。クオークは三つというのがまだ世界的な常識だったが、丹生さんの発見によってすでに四つあることを知っていたからだ。小林さんは2008年にノーベル賞を受賞した際の受賞講演で、理論のきっかけとして丹生さんの研究成果を讃えた。最近になってようやく、チャーム粒子の最初の発見者として再評価されているという。
 一方、顕微鏡をのぞいて原子核乾板のデータを解析するのは時間がかかるため、その頃からデータをデジタル化して自動で読み取る装置の開発に取り組んだのが丹羽公雄・名誉教授だ。98年には、世界で初めてタウニュートリノという粒子をとらえるのにも成功した。その後、OPERAと呼ばれる日欧の国際共同実験に参加、ニュートリノ振動と呼ばれる現象によってできるタウニュートリノの検出をめざした。ニュートリノ振動も、1962年に名大の坂田昌一教授らによって提唱された理論で、東大の戸塚洋二教授や梶田隆章教授らがスーパーカミオカンデで大気から降り注ぐニュートリノの観測で初めて実証した。戸塚さんは惜しくもがんのために亡くなったが、梶田さんは2015年、この業績でノーベル物理学賞を受賞した。OPERA実験はスイスから約730km離れたイタリアに向けてニュートリノを飛ばし、この現象をより直接的に観測するのが目的だった。
 実験で使われた約1200万枚のフィルムを作ったのは富士フイルムだ。だが、同社はその後、このフィルム作りから撤退したため、森島さんらは同社OBの指導を受けて、研究室でフィルム作りを始めた。観測目的に応じた乳剤を手作りできるのは大きなメリットでもある。
 原子核乾板自体は古典的な技術だが、その強みを先端システムで生かすことで、世界の最先端に躍り出ることになった。丹生さん以来の研究室は、基本粒子研究室、その頭文字をとってF研と呼ばれるが、原子核乾板の強みを生かしたさまざまな研究へと幅を広げている。

狭い通路に原子核乾板の検出器を置いているところ。原子核乾板は2枚のアルミ板の間にはさまれている。                                        設置された原子核乾板

 その一つが、レントゲン写真のように構造物の中を見ることだ。今回のピラミッドの研究は、原発の内部を見たり、火山の研究に使われたりといった実績に注目したNHKの呼びかけで始まった。エジプト考古省などが主催する「スキャンピラミッド」という国際共同研究に、日本からは高エネルギー加速器研究機構(KEK)とともに参加した。
 クフ王のピラミッドで、長さが30mもある未知の空間を最初に見つけたのは名大チームだった。原子核乾板は小型で電源も不要だ。1mほどしかない狭い通路に置くことができたことが発見につながった。KEKの装置は宇宙線をセンサーでとらえて電気信号にするもので、総重量が400kgもあるような大型のものだった。電源も必要で、置ける場所が限られる。このため、最初の観測では空間は見つからず、名大の観測結果を受けて再挑戦、空間の存在を確認した。

 森島さんは今後、ピラミッドの別の場所に原子核乾板を置いてさらに内部の様子を調べたいと話す。また、新しい観測対象として、例えば、溶鉱炉の中での鉄の動きを見たり、炉壁の厚さが減っていないかを調べたり、といったことにも挑戦したいという。一方、宇宙全体の質量の約4分の1を占めると考えられつつ、その正体が全くわかっていない暗黒物質(ダークマター)に挑むことも、研究室にとってこれからの大きなテーマだ。

 「何よりよく見えるから」。その信念で代々育ててきた技術が、大きく花開く。大学の研究の面白さだろう。これからも、そんな芽があちこちで育つ場であってほしい。

著者

辻 篤子(つじ あつこ)

1976年東京大学教養学部教養学科科学史科学哲学分科卒業。79年朝日新聞社入社、科学部、アエラ発行室、アメリカ総局などで科学を中心とした報道に携わり、2004〜13年、論説委員として科学技術や医療分野の社説を担当。11〜12年には書評委員も務めた。2016年10月から名古屋大学国際機構特任教授。

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