名大ウォッチ

新聞社で長く科学報道に携わってきたジャーナリストが、学内を歩きながら、
大学の今を自由な立場で綴っていきます。

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 昨年秋、重力波を初めて観測した米国の研究者たちがノーベル物理学賞を受賞したというニュースは国内でも大きな話題になった。その米国チームから功労者として讃えられたのが東大宇宙線研究所の川村静児教授だ。岐阜県の神岡鉱山の地下で建設中の大型低温重力波観測装置「KAGRA(かぐら)」の主要メンバーでもある。KAGRAは初観測では米国に先を越されたものの、来年には観測を始め、これから本格化する重力波天文学の第一線に躍り出ようとしている。
 KAGRAでインタビューを受けていた姿の記憶も新しい川村さんが昨年12月半ば、KAGRAを離れ、名大理学部教授として着任した。
 そう聞いて、驚いた。いったいなぜ名古屋へ?

研究室の川村静児教授

 「宇宙誕生の瞬間を見たいんです」
  まだ封をしたままの段ボール箱が積まれた研究室を訪ねると、開口一番、こういう答えが返ってきた。「それが名古屋でできるんですか?」。思わず問い返すと、即座に、「できますね。そのために名古屋に来ました」。
 川村さんは現在59歳。定年まで6年の研究生活を「宇宙の始まりの瞬間を見る」、それ一本に絞りたいのだという。公募に応じた教授選考の面接でも「宇宙の始まりを見たい」と話した。「それで採用されたのだから、やっていいというお墨付きをもらったのだと思っています」。
 実は、やりたいことができる場所を求めてあちこちの公募などに応募したものの、川村さんの夢にOKと言ってくれたのは名大だけだった。大学はどこもかしこも今は余裕がなく、新しい分野である重力波研究を受け入れる状態にはないのだろう。名大もおそらく無理だと思っていたので、「本当によく取ってくれたと思います」。それも、特任ではなく、正規の教授ポストである。名大にとっても思い切った人事だったに違いない。
 「今年還暦を迎えますが、この期に及んで夢いっぱい。ちょっと珍しいかもしれませんね」
 大げさでなく、まるで少年のように目がキラキラ輝いていた。

 宇宙に魅せられたのは、高知での少年時代だ。ある夜、不安にかられ、世の中のすべてが頼りなく思えた中で、「宇宙さえあれば何も怖くない」と自分に言い聞かせ、眠りにつくことができた。なぜかはわからないが、宇宙が「最強」の存在だと思えたと振り返る。
 大学院に入り直すなど少し回り道はしたものの、1989年、東大の大学院で重力波の検出の研究で博士号を得た。最強の宇宙に挑む第一歩だった。その後、留学先のカリフォルニア工科大で取り組んだのが、昨年のノーベル賞につながった「レーザー干渉計重力波天文台(LIGO=ライゴ)」の試作品のノイズ対策だった。一気に千分の1以下に抑え、一躍ヒーローとなった。新婚の妻と2人、渡航費も含めて220万円の奨学金は半年でなくなり、帰国しなければならなくなったが、研究室のボスがいきなりスタッフとして雇ってくれた。普通なら、3年間のポスドクを2回やってから就くポストである。ヒーローを手放すわけにはいかなかったのだ。さらにノイズ対策を進め、ドイツ、イギリスに次いで3位だった装置を世界トップにした。その結果、規模を100倍にした本番の装置に予算がついた。装置の感度を大きく向上させたノイズハンターの川村さんを、ノーベル賞受賞者の一人、カリフォルニア工科大のキップ・ソーン博士が「LIGOの成功のキーパーソン」として讃えるゆえんだ。米国でLIGOとともに7年、97年に帰国した。日本の観測装置作りに参加するためだ。

川村さんが通い続けた東大宇宙線研究所重力波観測研究施設の入り口。ノーベル賞を受賞した梶田隆章所長のポスターが迎えてくれる(岐阜県飛騨市)。

 そもそも、重力波なるものがどのように、最強の宇宙、とりわけ宇宙の誕生とつながっているのか。
 まず、「重力波とは何か」。川村さんにはまさにこのタイトルの著書がある。画家である長男のそらさんが挿絵を担当し、アインシュタインが腹巻姿で登場する楽しい新書だ。天才バカボンのパパのイメージなのだそうだ。重力波は、その天才バカボンのパパが1916年、一般相対性理論によってその存在を予言した。ごく簡単にいうと、重力によって空間が歪み、その変化が波となって伝わっていくのが重力波だ。米国チームが初検出したのは予言からちょうど100年後だった。100年来の宿題に答えを出し、光や電波、X線などに加えて、新たに重力波による天文学の幕を開けた画期的な成果として、誰もがノーベル賞を予想し、その通りになった。
 宿題に時間がかかったのは、重力波はごくごく弱く、その検出が極めて難しかったからだ。例えば、遠く離れた銀河からの重力波を考えると、その影響によって地球上で生じる距離の変化は、地球と太陽の距離を水素原子ひとつ分だけ伸び縮みさせた程度と、先の著書にある。また、その著書の副題に「アインシュタインが奏でる宇宙からのメロディー」とあるように、光や電波、X線などの電磁波が「目で見る」ものだとすれば、重力波は波の振動が伝わってくるのを「耳で聞く」ものだ。弱い電磁波を見るために望遠鏡という超高感度のメガネが必要なのと同様に、弱い重力波を聞くためには超高感度の補聴器が必要になる。その補聴器を使って、ごくごくかすかな宇宙からのメロディーを聞くわけだ。補聴器なら、いかに雑音対策が大事かがよくわかる。ありとあらゆる種類の雑音を極限まで取り除かないことには重力波は聞こえない。ポストイットの一片が雑音の原因だった、などということもあったそうだ。
 観測装置は、例えばLIGOの場合は長さ4kmの直交する2本の腕で構成されている。内部を真空にしてレーザー光を飛ばし、重力波がレーザー光にもたらす変化をとらえることで、間接的に重力波を聞く仕組みだ。KAGRAの腕は3kmとそれより短いが、振動の少ない神岡鉱山の地下に設置し、かつ、レーザー光を反射する鏡を零下253度まで下げるなどの工夫で感度を上げるねらいだ。

KAGRAの入り口トンネルの中に3㎞の真空パイプが設置されている

 では、なぜ重力波か。光では、誕生から38万年以降の宇宙しか見えないからだ。それまでは、高エネルギーの粒子が飛び交っていて光はまっすぐに進めなかった。「宇宙の晴れ上がり」と呼ばれる状態になって初めて、光が地球まで届くようになったのだ。そこからの光はすでに観測されており、宇宙の始まりは「火の玉」状態だったことがわかった。
 川村さんが見たいという宇宙の始まりは火の玉よりずっと前、誕生して10のマイナス35乗か34乗秒後、つまり小数点以下にゼロが33〜34個も並ぶ、ほとんど誕生した瞬間の宇宙だ。気の遠くなるような話だが、そんな生まれたばかりの宇宙からも重力波だけは出ていると考えられている。そこからの重力波をつかまえれば、宇宙の始まりがわかるというわけだ。
 もっとも、その重力波をとらえるのは、雲をつかむような話、どころではない。とてつもなく難しいに違いない。それでも、重力波が初検出されたことによって、宇宙の始まりにも手が届く可能性が出てきたとは言えるだろう。だから、初検出のニュースを聞いても先を越された悔しさはなく、しばらくスキップしながら歩いてしまうほどの「嬉しさ100%」だったという。

 転身を考え始めたのはその頃だ。
 宇宙の始まりという一番やりたいテーマに進むには、KAGRAを完成させて重力波を検出してからと思っていたが、自分の残り時間を考えれば、そろそろわがままを言っていいのでは、と思い始めたのだ。
 米国から帰国後、国立天文台で腕の長さ300mの重力波望遠鏡「TAMA300」に取り組み、2000年には米国を抜いて世界最高の感度を達成した。01年からは宇宙空間の重力波天文台「DECIGO」の計画を仲間と始めた。そうした中で宇宙の始まりを見るのは自分の天命だと思い定めるようになったが、10年にKAGRAに予算がつくと、日本の重力波の研究チームは一丸となって取り組むことになった。ノイズハンターの川村さんは目標感度を達成するチームのリーダーとして重責をになった。週末や夜の空いた時間に自分の好きなことができたらと思っていたが、実際には、週末も夜も含めてKAGRAに200%のエネルギーをつぎ込んでも、やらなければならないことの5分の2くらいしかできない、そんな日々だった。自分がやりたいことには手がつけられないまま、時間がどんどん過ぎていった。
 東大の柏キャンパスの生協で、旧知の杉山直・名大理学部長とばったり会ったのは、転身先を探し始めてしばらく経ち、公募に落ちたりもしていたころだった。名大理学部で高エネルギー分野の教授を公募しているという。X線天文学の教授の後任だ。対象分野に重力波も含まれるとはいえ、X線は日本のお家芸とも言われる得意分野で、名大はそのメッカでもある。重力波では厳しいと思いつつ応募したという。米国では重力波研究のポストがあちこちにできているが、日本ではほとんどなく、若手もポスト探しに苦労しているのが現状だった。
 杉山さんに聞くと、学問分野を広く見渡して、一番アクティブな人を取りたいといつも考えているという。モノを作りながら最先端の科学をやるのは名大の伝統でもあり、実験家の川村さんはその点ではうってつけだった。一方、物理教室の議論では、60歳目前という年齢について不安視する声もあったが、6年の間にタネをまいてくれたらという考えもあり、思い切って決めたという。以前から元気な人という印象があり、学生たちにいい刺激を与えてくれるはずと期待している。
 30代半ばの教授がどんどん誕生する一方で、ちょっと違う分野から夢を追うベテランがやってくる。自由で大胆、名大理学部ならでは、かもしれない。
 東大宇宙線研での上司、梶田隆章所長は、川村さんの名大行きを聞き、最初は驚いていたが、理解して送り出してくれたという。

 では具体的に、名大の6年で何をしようと考えているのか。
 まず、KAGRAの本格化と共に遠ざかっていた宇宙の重力波天文台DECIGO計画に再び力を注ぐことだ。人工衛星を三角形に配置し、宇宙空間に腕の長さ1000kmの巨大天文台を作るという壮大な計画である。これがきちんと働けば、宇宙の始まりからの重力波を受けることができ、佐藤勝彦東大名誉教授らが提唱した、ビッグバンに先立って起きた宇宙の急膨張「インフレーション」の検証もできるはずだ。そのための装置開発の研究と基礎実験を進めたいという。もっとも、技術的な課題に加え、おそらく1000億円は下らないと見られる巨額の費用が必要とあって、実現までには時間がかかりそうだ。国際協力も欠かせない。そこをめざして、誰もやっていないところに踏み込んでいきたいと意気込んでいる。
 この計画に6、7割の時間を割き、残りの3、4割で、地上で重力波を見る新しい方法を模索したいという。こちらは数年、10年以内に結果を出すことを考えている。すでにいくつかアイデアがあるそうだ。

 これまで名大でのセミナーに何回か呼ばれ、名大は自由な雰囲気にあふれているという感じを持っていたものの、名古屋とは全く縁がなかった。しかし、12月に赴任して以来、大きすぎず、小さすぎず、そのサイズがぴったりで、名古屋の街が大好きになったという。すでにマンションも購入、永住するつもりだそうだ。
 ようこそ名大へ。夢に向かって、思う存分ご活躍を。

著者

辻 篤子(つじ あつこ)

1976年東京大学教養学部教養学科科学史科学哲学分科卒業。79年朝日新聞社入社、科学部、アエラ発行室、アメリカ総局などで科学を中心とした報道に携わり、2004〜13年、論説委員として科学技術や医療分野の社説を担当。11〜12年には書評委員も務めた。2016年10月から名古屋大学国際機構特任教授。

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