名大ウォッチ

新聞社で長く科学報道に携わってきたジャーナリストが、学内を歩きながら、
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 「異分野融合」が言われるが、現実にはそう簡単なことではない。専門の違う研究者を一箇所に集めれば進むというわけでは決してない。名古屋大学トランスフォーマティブ生命分子研究所(ITbM)は、その異分野融合の稀有な成功例ではないだろうか。文部科学省の世界トップレベル研究拠点プログラム(WPI)の一つで、現在ある9拠点の中では先発組から5年遅れの2013年にスタートした。予算規模も半分の末っ子だったが、すでにいくつもの大きな研究成果をあげ、トップレベルの高評価を受けている。春からはさらに2拠点がスタートするが、堂々たる兄貴分に成長したといっていい。
 拠点長の伊丹健一郎教授によれば、化学と植物科学など、もともと名大が強い分野を融合させた、いわば「ナゴヤサイエンス」だ。だが、拠点がスタートしたほんの5年前までは、同じキャンパス、いや同じ理学部にいながら、「隣は何をする人ぞ」状態だったという。何がそれを変えたのか。

伊丹健一郎教授の研究室には「ドラえもん」全巻がある。ドラえもんの秘密道具を分子で作るのが夢、いわば教科書だという。

 融合の威力がよくわかる研究成果の発表が1月にあった。鳥居啓子教授らによる、植物の主要なホルモンであるオーキシンに関する研究だ。
 オーキシンそのものは、ごく単純な構造の小さな分子にすぎない。それが、根や茎、花を作ったり、光に向かって伸びたり、そこらじゅうにあってそれぞれ違う多様な働きをしている。まるで小さな魔法使いさながら、どこでどう作用しているか、そのメカニズムは謎に包まれていた。
 研究グループは、普通のオーキシンに出っ張りをつけた凸オーキシンと、それがピッタリはまるくぼみのある凹受容体を作った。植物の狙った場所にこの凹受容体を組み込むと、普通のオーキシンには反応せず、凸オーキシンにだけ反応する。この凸凹法によって、オーキシンの様々な働きを個々に解明する道が初めて開かれた。実際にこの方法を使って、暗闇で発芽したもやしが光を求めて急速に伸びる際にオーキシンがどのように働いているのかも突き止めた。これはダーウィンが130年以上前に発見し、後にオーキシンが発見されるきっかけになった現象で、その謎にも答えを出した。
 オーキシンは、植物科学のスター的な存在とあって、「凸凹法を発表した昨夏の国際学会は大騒ぎになりました」と鳥居さんは振り返る。
 研究に道を開いただけではない。合成オーキシンは、果実の成熟や除草など広く使われているが、場所によって全く異なる働きをするため、使い方が難しい。例えば、果実の成熟のためには、一つひとつの花にかけていく必要がある。凸凹法を使えば、空から散布しても目的の果実だけに働く、といったことも原理的には可能になる。

オーキシンの研究グループ。左から、打田直行特任准教授、鳥居啓子教授、萩原伸也准教授、高橋宏二助教。出身は、薬学、生物学、工学、農学と多彩だ。

 では、この成果はどのようにして生まれたのか。
 鳥居さんは、植物が呼吸や光合成のためのガス交換を担う気孔の研究で世界的に知られる植物学者である。米国のワシントン大教授、そして全米で15人の植物学者が選ばれたヒューズ医学研究所の研究員でもある。ITbMの発足に当たり、海外主任研究者として招かれたが、研究の本拠地は米国だ。多忙を極める鳥居さんが名古屋にいられるのは年に3〜4回、夏休みの時期を除けばそれぞれ1週間程度しかない。そうした海外の研究者のために作られたのが、日本側で研究室の運営に当たる共同主任研究者の制度だ。鳥居さんを支える打田直行特任准教授は、薬学部出身で植物の発生や成長制御が専門、鳥居さんと一緒に研究できるのならと、奈良先端大の常勤ポストから転じた。
 研究の始まりは、有機化学の萩原伸也准教授がさまざまなオーキシン誘導体を作ってみたことだった。だが、これといった用途もなく、これで終わりかなと思っていた時に、「せっかく作ったのにもったいない。ひょっとしたらすごい使い道があるかも」と言い出したのが鳥居さんだ。オーキシンは専門ではないが、凸凹法のようなものを考えたことがあった。早速、萩原さんと打田さんが実際にオーキシンと受容体の凸凹コンビを合成して実験し、有効性を確かめた。さらに、農学出身でオーキシンを専門とする髙橋宏二助教も加わった。化学と生物分野のさまざまな研究者が同じ屋根の下で日常的に行き来するITbMの強みが発揮された。
 鳥居さんは、専門とは全く異なる今回の研究について「まるで生まれ変わったような経験」と言い、これまで経験したことのないような分野間のコラボレーションの場を作ってくれた名古屋大学に感謝したいと話す。

 そもそもITbM はどのようにして生まれたのか。
 WPIは世界的な研究拠点を作ることをめざし、1拠点あたり10億円が10年にわたって投じられる。学術分野では最大のプログラムだ。まず、iPS細胞を開発した山中伸弥京大教授を中心とするグループなど5拠点が選ばれた。
 名大からは、後に国際純正・応用化学連合(IUPAC)の会長にも選ばれた無機化学者の巽和行教授と生物時計の研究で知られる近藤孝男教授という理学部の大御所2人が、共同で分野融合の計画を作って応募した。提案書をまとめる作業には若手研究者が動員された。しかし、2回続けて落選し、「今度は若手だけでやってみろ」ということになった。当時のメンバーは化学と生物学から2人ずつの4人、いずれも30代半ばなど若くして教授になった若手のホープだった。だが、規模の大きいプログラムとあって負担も大きく、若手たちも当初は全く乗り気ではなかったという。「断れないか」という声も出るほどだったが、「やるべし」と巽さんが一喝した。
 ところが、話をしてみたら、「そんな分子があるんだ」「こういうことができる分子があれば」などと「分子」を接点に大いに盛り上がった。「これなら行けそうということになった」と東山哲也教授は振り返る。分子をキーワードに、合成化学、植物科学、動物科学、理論科学の融合を図るというコンセプトがすぐに固まった。オーキシンの例が示すように、植物を始め生物では、さまざまな分子が生命を維持するうえで大きな役割を果たしている。分子を作るのに長けた化学者と生物学者が組んで、生命現象を自在に操り新しい科学を作り出そう、というわけだ。巽さんたちはサポート役に回った。
 拠点長になった伊丹さんのビジョンステートメントは最初に「世界を分子で変える」とうたう。拠点名の「トランスフォーマティブ(transformative)」にその思いが込められている。一変させるといった意味があるtransformが形容詞になったもので、日本語にはなりにくいし、ちょっと恥ずかしくもあるのでカタカナのままにした、と伊丹さんはいう。当時伊丹さんは41歳、海外組も含めた主任研究者の平均年齢は43歳、WPIとしては群を抜いて若い研究拠点となった。
 昨年の中間評価では、「実際にいくつかの分野にまたがり、変革をもたらしている」として最高のS評価を受けた。9拠点中、S評価を受けたのは他に東大のカブリ数物連携宇宙研究機構(Kavli-IPMU)があるだけだ。
 思い切って若手に任せたこと、そして、何より、研究者主体で作り上げたことが、成功の要因だろうと巽さんはいう。若手に自由にやらせるのは名大ならでは、とも。若手4人組はいずれも他大学の出身で、その活躍の舞台を名大が用意した形だ。

副拠点長としてITbMを支える東山哲也教授(左)と山口茂弘教授

 ITbMが研究目標として掲げているのは、生命を「知る」「視る」「動かす」分子の開発だ。「ワクワク感」を何より大切にして研究を進める。食糧問題など世界規模の課題にも貢献したいと夢は大きい。伊丹さんのリーダーシップの下、植物科学の東山さんと、やはり当初の4人組の一人、合成化学の山口茂弘教授がともに副拠点長を務める。
 今では名コンビの2人だが、4人組に入るまでは、教授会などで顔を合わせる程度で、研究の話をしたことは全くなかったという。「同じ理学部の中でも、生物学にとって化学はむしろ戦う相手で、とりわけ山口さんは鋭くて手強いという印象だった」と東山さんがいうように、互いに意識する存在だった。
 2人で手がけた大きな成果の一つは、生きた状態で生物の内部の現象を見るライブイメージングに使う超耐光性蛍光色素の開発だ。2014年のノーベル化学賞を受賞した超解像顕微鏡(STED)のような高解像度の顕微鏡が登場したのに、目印に使う蛍光色素が強い光に当たるとすぐに色あせてしまうので短時間しか観察できない。それを東山さんから聞いた山口さんが2年がかりで開発した。長時間にわたって、また立体的にも生命現象を追える可能性が開けた。
 異分野の研究者が「ミックスラボ」と呼ばれる同じ大部屋にいて日常的に議論し、学生も自分の関心に応じて専門外の研究室に学びにいく。山口さんは、東山さんとの共同研究に加え、そんなITbMでの5年で、研究者として大きく変わったという。よりよい分子を作る、研究の内容は同じでも、かつては化学の世界に閉じていたのに対し、その先に何を見るか、展望がガラリと変わったのだ。学会で会う知人たちからもそう言われるという。化学科の研究会も、かつてのいわばモノトーンの発表が、材料からバイオまで、多彩になった。自身ではさらに先、イメージングの医療への展開も見据える。
 「ITbMで一番トランスフォームしたのは山口先生」と言われる所以だろう。それにしてもわずか5年、変わるときは変わるのだ。

異分野の研究者たちが机を並べるミックスラボ

 花粉管誘引物質の発見に加え、植物のライブイメージングでも世界をリードする東山さんと、より優れた蛍光物質などの分子の研究で知られる山口さんが一緒にやれば世界が広がる。今考えれば当然の組み合わせだが、それまで隣にいながら全く行き来がなかったのは不思議にさえ思える。
 大学の中にはおそらく、可能性を秘めた組み合わせがいくらでもあるに違いない。ただ、ITbMで誰もが口を揃えるのは、異分野の研究者が会って通り一遍の話をしただけでは決して前には進まないということだ。ITbMでの共同研究は、鳥居さんも指摘するように、通常の共同研究とは深さが全く違うという。突き詰めようとすれば、言葉が通じなくなる。普通はそこで止まってしまう。山口さんの場合は、バイオイメージングを手がける化学者という、いわば化学と生物学の「通訳」ができる人材を探し回り、来てもらうことができた。とたんに話が進むようになった。
 こうしたITbMの経験を学内、いや外にも、もっと広げていって欲しいと思う。
 兆しはある。
 あるとき、伊丹さんにメールが届いた。「新しい研究にトランスフォ―マティブという言葉を冠したい」という。青色LEDを開発した功績で2014年にノーベル物理学賞を受賞した天野浩教授からだった。青色LEDは世界を変えたが、さらにその先だという。どのように世界を変えようというのか。次回は、もう一つの「トランスフォーマティブ」を訪ねたい。

著者

辻 篤子(つじ あつこ)

1976年東京大学教養学部教養学科科学史科学哲学分科卒業。79年朝日新聞社入社、科学部、アエラ発行室、アメリカ総局などで科学を中心とした報道に携わり、2004〜13年、論説委員として科学技術や医療分野の社説を担当。11〜12年には書評委員も務めた。2016年10月から名古屋大学国際機構特任教授。

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