名大ウォッチ

新聞社で長く科学報道に携わってきたジャーナリストが、学内を歩きながら、
大学の今を自由な立場で綴っていきます。

RSSを購読する

 名古屋大学でトランスフォーマティブといえば、世界トップレベル研究拠点プログラム(WPI)のトランスフォーマティブ生命分子研究所(ITbM)が頭に浮かぶだろう。そこにもう一つの「トランスフォーマティブ」が名乗りをあげた。青色発光ダイオード(LED)で2014年のノーベル物理学賞を受賞した、名古屋大学未来材料・システム研究所の天野浩教授が掲げる「トランスフォーマティブエレクトロニクス」である。「トランスフォーマティブ」は、「世界を変える」といった意味で、ITbMは「分子で世界を変える」という思いを込めている。同じ言葉を使っていいか、天野さんがITbMの拠点長である伊丹健一郎教授に尋ねたところ、「相乗効果になってむしろありがたい。名大はトランスフォーマティブでいきましょう」という答えが返ってきたという。
 こちらは「エレクトロニクスで世界を変える」というのである。どうやって? しかもそれを大学で? 天野さんを訪ね、真意を聞くことにした。

 天野さんが最初に考えたのは、「エネルギーの変換(transformation of energy)」という言葉だった。LEDは電気エネルギーを光エネルギーに変え、太陽電池は逆に光エネルギーを電気エネルギーに変え、スピーカーは電気エネルギーを音に変える。エレクトロニクスの本質はエネルギーの変換であり、その根本に挑むことで社会に大きなインパクトを与えたいと考えたからだ。海外の知人が、それなら「トランスフォーマティブ」という言葉にしてはとアドバイスしてくれたのだ。
 「トランスフォーマティブ」は近年、科学研究の世界で重要なキーワードになっている言葉だ。全米科学財団(NSF)は、これから重要なのは「トランスフォーマティブリサーチ」であるとし、その可能性のある研究を積極的に支援していきたいとしている。そして、次のように定義する。
 「科学や工学の既存の重要な概念や教育の実践に関する理解を根本的に変えるようなアイデアや発見、あるいはツールに関する研究である。こうした研究は、既存の考えに挑戦したり、フロンティアへの道を切り拓く」
 天野さんはもともと、単にエネルギー変換でなく、感動も与えられるようなエレクトロニクスをやりたいという思いがあった。例えば、ディスプレイはたくさんのフィルターを通して白色光をフルカラーにするのできわめて効率が悪く、わずか5%でしかないが、そのディスプレイで映画を見た人が感動すれば、感動エネルギーはカウントレス、つまり効率は無限大になる。エネルギーの変換効率を上げるのはもちろん、そこから新たな価値を生み出すことで世界を変える。「トランスフォーマティブ」は研究の目標としてまさにぴったりだった。

青色LEDは世界を変えた。天野浩教授は「エレクトロニクスを通して社会を変革したい」とさらにその先を見据える。

 具体的にはどういうことか。ひとくちにエレクトロニクスと言っても、きわめて広いし、私たちの生活はいうまでもなく、それなくして成り立たない。
 天野さんがめざすのは「高度なIT社会を実現するためのインフラ」としてのエレクトロニクスだという。自動運転が実現したり、人工知能(AI)が私たちの仕事や暮らしを大きく変えたり、来るべきIT社会が盛んに語られているが、それらを実現するための手段が実はまだ足りない。ありとあらゆる場所に半導体の部品が入るようになり、その数も、またそれを処理する通信能力も桁違いに必要になる。例えば自動運転でも、コンピュータを積んで100%処理するならスパコン並みの性能が必要になるし、積まずに通信でこなそうとすると、今の100倍、1000倍の大容量の通信システムが必要になる。それをこなせるだけの高性能の半導体がまだ開発途上なのだ。
 鍵を握るのが、次世代の「パワー半導体」である。交流を直流に変えたり、スイッチを入れたり切ったりと、電力を制御する電子部品で、エアコンなどの家電製品でおなじみのインバーターもその一つだ。同じ半導体でもパソコンなどのCPUがごくごく小さな電流で働く頭脳とすれば、こちらは筋肉ともいわれるように、はるかに高い電圧でも使われる。現在主流のシリコンの半導体だと、大量にかつ並列で動かす必要があり、大量の熱を発生してそれだけ効率も落ちる。新しい材料が求められるゆえんであり、それなくして高度なIT社会は実現しない。「まさにそこをやりたい」と天野さんはいう。
 そこで登場するのが、青色LEDでおなじみの窒化ガリウム( GaN)である。電気をよく通し、失われる電力をシリコンの10分の1と劇的に減らせる可能性があるが、扱いは難しい。天野さんは、世界のライバルたちが諦めるなか、ついに青色に光るLEDを作ることに成功したのだが、パワー半導体には、光らせるのとは全く別次元の技術が求められるという。例えば、交通信号のLEDは多少壊れても機能は果たせる。基本的に天野さんの学生のころの技術そのままで、1cm角の結晶の中にゆがみなど1億個の欠陥があってもいい。これに対し、車を制御するトランジスタは、1個でも壊れたら事故に直結する。欠陥の少ない結晶をどう作るなど、課題は多いが、道筋は見え始めており、見極めをしている段階だそうだ。

東山キャンパスの南東の一角で建設が進むクリーンルーム棟。今年中には隣に研究棟が完成し、一帯はリサーチパークとなる。

 ここで重要なのは「イノベーション(革新)とインベンション(発明)の違いをしっかり認識すること」と天野さんはいう。大学はこれまで、発明、つまり0から1を作り出すのが得意だったが、社会でイノベーションを起こすには、安くたくさん作る、つまり1をさらに10にしなければならない。日本の大学ではそこの価値が認められてこなかったが、そこを変えれば、大学でイノベーションまでつなげられるはずだという。「0から10まで、一気通貫でやりたい」と意気込む。
 実際、シリコンバレーに行けば、0から10をやろうという人が大学の中にたくさんいることがわかる。グーグル、シスコ、テスラ、ウーバーといったイノベーションを実現した企業は全てスタンフォード大学から生まれた。だが、天野さんがシリコンバレーを訪問して感じたのは、「シリコンバレーは確かにすごい。しかし、ネットやAIに乗りすぎで、それをもとにしたビジネスしか生まれていないのではないか」ということだった。70、80年代は、ヒューレット・パッカードやアップルなどが実際にものを作るところから始めていたが、その部分は今や海外に出てしまい、米国ではビジネスになっていないのかもしれない。「そここそが、実は日本にとっての狙い目」とみる。
 そのための拠点もできつつある。未来エレクトロニクス集積研究センターが2015年秋に設置され、産学連携の拠点となるGaNオープンイノベーション棟の建設が東山キャンパスの南東の一角で進んでいる。3月末にはまず大空間クリーンルーム棟が完成、年末までにはトランスフォーマティブエレクトロニクスをめざす研究棟もその隣に完成の予定だ。GaN研究コンソーシアムには、大学や国立研究開発法人に加え、民間企業46社がすでに参加している。GaNの結晶成長から始めて半導体を作り、最終的にはそれによって動くシステム作りまで、まさに「一気通貫」をめざす計画だ。

 課題は、企業をいかに巻き込むかだ。
 学術研究・産学官連携推進本部GaN研究戦略室の佐藤浩哉・首席リサーチ・アドミニストレーターは、シャープでGaN研究に携わっていたが、天野さんの誘いで2016年夏に大学に転じた。佐藤さんによれば、企業から見た大学は物作りを知らず、「ままごと」をしているとしか映っていなかった。優秀でプライドの高いソリストたちはあちこちにたくさんいるので、そうしたソリストたちに機嫌よく演奏してもらい、企業で実用化につながる研究開発をすればいい。そんな牧歌的な時代が長かった。しかし、今や企業も余裕はなくなり、ソリストたちとの連携が重要になってきた。かといって、実績がないところに企業は乗り出せない。佐藤さん自身、産学連携の難しさは熟知している。企業から大学へと立場が変わった今、企業から見て納得できる実績を大学で作ることが当面の課題だ。会社では事業化に至らなかったGaNを新天地で大きく育てるのは、佐藤さんにとってリベンジでもある。
 まず必要なのは、半導体の電子部品を実際に作るには100〜300の手順があるが、すべてをきちんとこなせる、つまり全体として「流せる」ことを示すことだという。音楽ホールを作ることに例えていえば、ホールができただけではダメで、実際にそこで練習曲を演奏して聞いてもらわなければならない。1年近くかかりそうだが、「日本の大学でもできるんだと自信をつけてほしい」と話す。

佐藤浩哉・首席リサーチアドミニストレーターは、企業の経験を生かして、大学と企業をつなぎたいという。

 企業との連携という点では、お手本がある。半導体プロセス分野のオープンイノベーションの世界的な拠点として知られるベルギーの研究機関IMEC (Interuniversity Microelectronics Centre)である。その名にもある通り、もともとは大学の研究者が始め、世界各国の企業との共同研究を進めている。日本からもパナソニックを始めとする企業が多く参加している。
 天野さんは、IMECのような、いやそれ以上の場所にしたいという。IMECの強みは、最新鋭の研究設備を自由に使えることに加え、未来技術を提案して研究を主導できる研究者がいることだ。企業や大学の研究者、博士課程の学生らも参加して、ともに新分野に挑む。IMECにはそうした経験が蓄積され、さらに先の未来を描くという好循環がある。
 天野さんも新しい拠点で「今は夢でも必ず実現したい夢、未来を見せたい」と話す。現在、ドローンや電気自動車に無線で電力を送るシステムの開発も進めているが、背景には、高齢化という日本が抱える課題もある。無線での給電、いわばエネルギーのインターネットが実現すれば、運動能力が低下した高齢者も給電の心配なく最先端の装置で移動できるようになる。インターネットが情報環境を一変させたように、社会が大きく変わる可能性がある。
 「個々の装置を作るところから始めて、新しい時代を構築して行く。時間はかかるけれど、もっともっと社会変革できそうな気がしている」と語る。

 現時点では、GaNを使った次世代半導体の研究を、とりわけ通信分野で本気で取り組んでいるところは世界でもまだあまりないという。GaN研究で世界に先駆けた強みを生かし、世界を変革するのろしをあげてほしいと思う。
 名大発、二つのトランスフォーマティブが世界をどう変えていくのか、大いに楽しみだ。

著者

辻 篤子(つじ あつこ)

1976年東京大学教養学部教養学科科学史科学哲学分科卒業。79年朝日新聞社入社、科学部、アエラ発行室、アメリカ総局などで科学を中心とした報道に携わり、2004〜13年、論説委員として科学技術や医療分野の社説を担当。11〜12年には書評委員も務めた。2016年10月から名古屋大学国際機構特任教授。

書籍のご案内

» 名大生協
» Amazon
» 取扱店

» 名大生協
» Amazon
» 取扱店

過去の記事一覧

カテゴリ

» 掲載記事に関する免責事項

» トップページに戻る