名大ウォッチ

新聞社で長く科学報道に携わってきたジャーナリストが、学内を歩きながら、
大学の今を自由な立場で綴っていきます。

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 名古屋大学の人材育成の目標は「勇気ある知識人」である。この春の卒業式と入学式でも、松尾清一総長が祝辞の中でこの言葉を取り上げ、学生たちを激励した。「自由闊達」とともにさまざまな場面で語られるのを耳にする。名古屋大学を特徴付ける言葉と言っていい。「勇気ある知識人」とはいったい何か、そして、どのようにして登場したのだろうか。

入学式で松尾総長は「名古屋大学は、勇気ある知識人に脱皮するために、チャンスをつかむ場であり、チャレンジする場でもある」と語りかけた。

 私が最初にこの言葉を知ったのは2016年2月、東日本大震災から5年になるのを機にした取材で減災連携研究センターの鈴木康弘教授を訪ねたときだった。インタビューのテーマは「科学者の責任」。甚大な被害を生じうるが、きわめてまれにしか起こらない「低頻度巨大災害」にどう備えるか、大震災が突きつけた課題に対し、科学者が果たすべき責任について尋ねた。鈴木さんは震災後、原子力規制委員会で原発敷地内の活断層調査に参加し、厳しい判断を下していた。その経験を踏まえ、「不都合な真実に目をつぶるな」と題したインタビュー記事の最後でこう語っている。
 「気がかりなのは、若手研究者が社会的な発言を避けがちなことです。批判されることはあっても、業績として評価されることがないのも一因でしょう。しかし、科学は社会の幸福のためにこそあるのですから、専門の殻に閉じこもらずに発言すべきです。大学や研究機関、学会は、社会が求める『勇気ある知識人』をいかに育てるか。精神論だけではなく、評価基準を確立するなど具体的な育成体制を整えることが求められます」
 この記事では触れなかったが、「勇気ある知識人」は、名大が全国の国立大学に先駆けて2000年に定めた学術憲章でうたわれた言葉だと聞いた。制定当時の松尾稔総長は鈴木さんの師でもあり、鈴木さんは以来、科学者の社会的な責任を意識して社会への発信を心がけてきたと話した。科学者の社会への発信の重要性を感じていた私にとっても、この言葉は強く印象に残った。

 名大にやってきて、さまざまな場面でさまざまな「勇気ある知識人」に再会した。松尾現総長は入学式で、勇気ある知識人とは「高度な専門知識や技術に加えて、社会貢献の高い志と幅広い視野、多様性を理解し、受け入れる広い心、そして物事を動かしてゆくリーダーシップ、などの資質を持ち、人類的な課題と向き合って果敢に挑む人材だと考えている」と語った。一方、学生の側でも、例えばこの春の卒業生の一人でベンチャーを起業した三野稜太さんは総長を囲む座談会で、「勇気ある知識人とは、1 番失敗している人なんじゃないかと思うんです。飛び込んで失敗する。その繰り返しで成長し、何でもできるようになる。僕の人生、失敗しかないです」と笑顔で話していた。
 「勇気ある知識人」は学内に広く浸透し、それぞれのイメージでとらえられているようだ。
 では、学術憲章にはどう書かれているのか。学術憲章は名古屋大学における学術活動の基本理念として4項目を挙げ、その最初の項目「研究と教育の基本目標」に次のように記している。
(1)名古屋大学は、創造的な研究活動によって真理を探求し、世界屈指の知的成果を産み出す。
(2)名古屋大学は、自発性を重視する教育実践によって、論理的思考力と想像力に富んだ勇気ある知識人を育てる。
 ともに、ごく簡潔な表現で研究と教育の目標を示している。教育の目標である勇気ある知識人についても、備えるべき力として、論理的思考力と並んで想像力が挙げられている点が目を引くものの、ごく簡潔な表現である。
 この簡潔な表現に、どんな思いが込められていたのだろうか。
 当時副総長として学術憲章の制定作業に携わり、中部大学の学長を経て昨年から同大の名誉学事顧問を務める山下興亜名誉教授を訪ねた。

山下興亜名誉教授

 山下さんによると、学術憲章は名古屋大学の基本を示すいわば憲法で、細かいことは書かず、多様に解釈できる余地を残しているのが特徴だ。「大切なのは、それぞれが創造的に解釈して実践すること」という。例えば、知識人に求められる勇気の中身は何か、一人ひとりが考えてほしいというわけだ。
 松尾総長のもと、憲章作りが始まったきっかけは、行政改革の一環として国立大学の法人化の話が出てきたことだった。大学が自ら改革すれば、法人化を免れるかもしれないという希望的な観測もあり、世紀の変わり目に大学のあるべき姿を考え、新しい大学作りをめざすことになった。だが、何かを決めようとしても、各学部の意見を聞いて合意を得ようとすると、少しでも反対が出たら決まらない。そんな仕組みを変える必要もあった。そこでまず、大学レベルの憲法ともいうべき、価値判断の基準を決めようということになった。
 1999年3月、評議会の中に組織改革検討委員会が設置された。その下に、学部長らをメンバーとする将来構想小委員会が置かれ、大学のあり方を検討することになった。副総長の山下さんはその委員長となった。
 山下さんはまず、40ページからなるアカデミックプランの原案を夏休みを利用してまとめた。8月末に開かれた第1回将来構想委員会に原案を示したが、議論百出、1時間かけて半ページしか進まなかった。これではとてもまとまらない。そこで、山下さんはアカデミックプランのいわば目次のような形で項目を列挙して1ページにまとめたものを作った。「どこの大学でも同じではないか」という声も出たので、全ての項目の冒頭に「名古屋大学は、」と入れた。まず、めざすべき理念の枠組みを決めよう、というわけだ。これが、「名古屋大学は、」で始まる今日の学術憲章の原型となった。

 迅速に決める必要もあった。そこで、毎月1回の小委員会や、検討結果を報告する組織改革検討委員会での議論と並行して、松尾総長ともう一人の副総長の辻敬一郎教授の3人で打ち合わせを重ねた。ちなみに、それぞれ出身は松尾総長が工学部の土木、辻さんが文学部、山下さんが農学部である。委員会での議論を踏まえ、法人化に向けての動きなど大学を取り巻く内外の情勢を視野に入れながら3人で議論して案をさらに練り上げ、その結果を持って山下さんが委員会に臨んだ。
 最終的にアカデミックプランと名古屋大学学術憲章がまとまったのは翌2000年2月初めの第7回将来構想委員会だった。この間に組織改革検討委員会が2回、両委員会の合同委員会も1回開かれた。一方、山下さんたち3人による打ち合わせは夕方から夜にかけて、ときには酒を飲みながら、15回に及んだ。議論を始めて半年足らずでまとめることができたのは、3人で徹底的に議論して認識を共有し、委員会ではそれをもとに議論できたことが大きかったと山下さんは振り返る。
 2月15日、評議会で名古屋大学学術憲章を決定し、23日には「名古屋大学のこれからに関する全学説明会」が豊田講堂で開かれた。約500人が参加したという。

 細かいことは書かずにエッセンスを示すに止める、ということも3人の合意だった。例えば、研究の目標として「世界屈指の知的成果」とある。世界の何番以内、いやトップなどと言い出すとまとまらないから、「屈指」とした。松尾現総長が掲げる「世界屈指の研究大学」にも受け継がれている。
 「勇気ある知識人」はどうか。批判的精神を持ち、権力におもねらないこと、学問の自由や大学の自治を守る勇気を持つこと、あるいは良心に基づいて正しいと思うことを述べ、行動すること、たとえ一人になってもやるべきことをやる気骨を持つこと・・・。これもまた、議論し始めたら簡単にはまとまらないだろう。一方、「批判的」という言葉にしてしまっては狭くなる。一匹狼の多い大学という場では、それぞれが都合よく解釈できる言葉がふさわしいと山下さんはいう。100人いたら、100通りの「勇気ある知識人」があっていい。
 ただし、「論理的思考力と想像力に富んだ」知識人でなくてはならない。論理の重要性はいうまでもないが、想像力はどうか。山下さんは、文系、理系の区別なく、過去から未来への時間軸を見据え、360度の思考をすること、という。デジタルに対してアナログ、知識に対して知恵、だ。

 こう聞いて、実は得心した。想像力の大切さを日ごろ感じており、大学の教養教育や工学教育を語る場で想像力について話をしたこともあるからだ。
 私自身は想像力を「目に見えること、起きたことだけでなく、それらを手がかりに、見えないこと、これから起きるかもしれないことを『見る』力」「時間空間を超えて、思考や思いを広げる力」と定義している。こうした力はとりわけ、時間空間を超えてその多大な影響が広がる科学技術の担い手に求められていると思うが、広く知識人にも必要だろう。
 そして、想像力を育む、つまり、時間空間を超えて、見えないもの、見えないことを見るには、あらゆる知識、経験、感性を総動員する必要がある。そこに、大学の教養教育の意味がある。
 哲学者の鷲田清一さんは「想像は、生きるための最も大切な武器である」とし、大阪大学の入学式で学長として「いつも持ちあわせて欲しいのは他者への想像力」としたうえで、「他者への想像力」とは他者を他者の方から理解しようとすることであり、想像力とは自分が抱いているイメージをさらに広げることではなく、自分を別の場所から見る力である、とも語っている。
 「論理的思考力と想像力に富んだ勇気ある知識人」とは、含蓄に富んだ表現だと思う。論理的思考力と想像力とで世界をとらえ、そのあるべき姿のために行動する勇気を持つ。たとえそれが何であれ。

 ところで、卒業式で学生に贈られた言葉としては、「太った豚よりやせたソクラテスになれ」があまりにも有名だ。東京大学の大河内一男総長が1964年の卒業式に語ったとされる。
 ところが、そこには三つの間違いや誤解があると、3年前の東大教養学部の卒業式で石井洋二郎学部長が語っている。まず、これは大河内総長自身の言葉ではなく、19世紀の哲学者ジョン・スチュアート・ミルが「功利主義論」で語った言葉だ。草稿には「ミルが語った」とあり、報道が不正確だったようだ。次に、原文では、「満足した豚であるより、不満足な人間である方がよい。満足した馬鹿であるより、不満足なソクラテスである」となっており、漠然とした記憶をもとに適当にアレンジしたのでは、という。そして、この部分はなぜか読み飛ばされて、実際には言っていない。しかし、草稿をもとに報道されたために広まってしまったらしい。
 「早い話がこの命題は初めから終わりまで全部間違いであって、ただの一箇所も真実を含んでいない。にもかかわらず、この幻のエピソードはまことしやかに語り継がれた」と述べている。そして、不確かな情報があふれる今、あらゆることを疑う、健全な批判精神こそが、求められる「教養」の本質だとしている。
 ちなみに、この年が任期最後だった濱田純一東大総長が卒業生に贈った言葉は「タフ&グローバル」だった。

 健全な批判精神は、「勇気ある知識人」の核心でもあるだろう。このスローガンは登場から20年近く、名古屋大学にしっかり根を下ろしているようだ。一人ひとりが受け止め、考え、実践する。その根をさらに深く、そしてそこから大きな木が育っていってほしいと思う。ただ、山下さんによれば、学術憲章はどんどんバージョンアップしていくものだという。必要なら変える。そんな勇気とともに。

著者

辻 篤子(つじ あつこ)

1976年東京大学教養学部教養学科科学史科学哲学分科卒業。79年朝日新聞社入社、科学部、アエラ発行室、アメリカ総局などで科学を中心とした報道に携わり、2004〜13年、論説委員として科学技術や医療分野の社説を担当。11〜12年には書評委員も務めた。2016年10月から名古屋大学国際機構特任教授。

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