名大ウォッチ

新聞社で長く科学報道に携わってきたジャーナリストが、学内を歩きながら、
大学の今を自由な立場で綴っていきます。

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 タイトルはパリコレならぬ「カニコレ'18」、副題は「カニのハサミは使いよう」とあって、中に入れば入館者がお気に入りのカニを選ぶ「カニ選挙」もある。名古屋大学博物館で開催中の特別展は遊び心満載だ。その中身はといえば、カニのハサミの形と機能の多様性、そして同時にそこに潜む普遍性を明らかにする先端研究の成果だ。
 博物館と聞くと、化石や動植物などの標本が並ぶ静かな空間が思い浮かぶ。博物館行きといえば、骨董品扱いと同義で古さの代名詞のようなものだ。だが、名大博物館の内側に入り込んで見ると、資料の収集という博物館本来の機能に加えて、実にダイナミックな知の空間が広がっていることに気づく。専任教員7人の小さな組織だが、人類の起源から海岸などに転がる謎の球体の正体、西洋タンポポまで、実に多様な研究が行われている。一見何のつながりもなさそうだが、専門の異なる研究者たちが日常的に交流することで思わぬつながりや展開があるのだという。カニコレの中にも謎の球体があった。異文化交流が博物館の研究の大きな特徴であり、博物館だからこそできた研究、と研究者たちは口を揃える。大学の中にあるから、必要な専門家や共同研究の相手、そして関心を持ってやってくる学生にも事欠かないのが強みだ。
 その成果を展示につなげることが学内の他の研究者と違う点だが、研究を大勢の人に見てもらえるのは喜びでもある。小粒でピリリ、ユニークな研究拠点である。

カニコレ‘18展の入り口に立つ藤原慎一講師。ポスターでは、ファッションショーのランウェイをカニ歩きするのも観客もすべてカニだ。

 カニコレを担当するのは藤原慎一講師、動物の筋骨格系と機能の関係の専門家である。例えば、恐竜の骨の形から、歩き方や寝るときの姿勢などを推測する。カニの脚の先端が変化してできたハサミの研究もその一環で、身を食べた後のズワイガニも研究対象になるなど標本集めが容易だという利点がある。
 一部のカニは、ハサミで貝を砕いて口に運んで食べる。右側のハサミが大きい右利きに混じって左利きがいたり、強力なハサミの腕力派がいればハサミ先端の鋭い突起で貝をこじ開ける知能派もいて実に多彩だ。悲哀を感じさせるのは、シオマネキのオスだ。大きい方のハサミは口に届かず、もっぱらメスへの求愛の際に振り回して踊ったりケンカの時に相手をたたいたりするのに使われる。「メスはしっかり両方の脚を使って食べているのに、オスは片方だけで食べる。リスクもあるはずだが、そこまでしてメスの気を引きたいのか」と藤原さんも首を傾げる。どこか抜けているようでもあり、カニ選挙でシオマネキの個性に1票を投じてきた。

吉田英一教授と宮崎県都城市の約5000万年前の地層から見つかったコンクリーション。重さは40kgほどある。

 カニコレに登場していた謎の球体は、「コンクリーション」と呼ばれ、内部にカニの化石が入ったものが展示されていた。コンクリーションについては別室に展示があるとの案内があった。昨年開催された特別展「球状コンクリーションの謎」のミニ版が常設展となっている。その副題に「化石永久保存のメカニズム」とあるように、化石と関係が深い。
 担当するのは吉田英一教授だ。岐阜県瑞浪市にある動力炉・核燃料開発事業団(現日本原子力研究開発機構)の研究所から、2000年に博物館の創設に合わせて移ってきた。原子力からの転身と聞いて意外に思ったが、地層中の物質の動きを専門とする地質学者として、放射性廃棄物を地中に埋める地層処分の安全性を調べる基礎的な研究に携わっていたという。地層中で物質がどう動くか、鍵を握るのは水の動きであり、それはコンクリーションでも同じだ。
 そもそもコンクリーションとは、地層の中でできた硬い岩石の球状の塊をいい、数ミリからメートルサイズの巨大なものまで大きさはさまざまだ。実は、化石の研究者の間ではノジュールと呼ばれ、100年ほど前からよく知られた存在だった。中から保存状態のいいアンモナイトなどの化石が見つかることが多いからだ。ノジュールを探し出して割り、目当ての化石があれば取り出す。入れ物の岩石はそのまま捨てられていた。

 その用済みの方に関心を持ったのが吉田さんだ。なぜ化石がよく保存されるのか、なぜ球形になるのか。研究が進んだきっかけは数年前、古生物学の研究者が、越中おわら風の盆で知られる富山市八尾の約1600万年前の地層から見つけたツノガイのコンクリーションを持ってきてくれたことだった。直径数cmほどでツノがちょうどクワイのように飛び出した形をしていた。ツノガイは海底の泥の中にいる巻貝で現在も生きているが、その貝殻が化石となってきれいに保存されていた。古生物研究者にとっては珍しくともなんともない存在だが、吉田さんは色めき立った。早速学際的な研究チームを組織して、八尾でサンプルを集め、分析した。
 その結果、硬い岩石は水に溶けにくい炭酸カルシウムでできており、死んだ貝の身体の炭素と、周辺の地層に含まれる海水のカルシウムとが反応してできることがわかった。巻貝の口を中心に風船が膨らむように球形になっていくこともわかった。そのスピードは非常に早く、半径1cmなら数週間という。貝殻成分が瞬間冷凍のように保存される、というわけだ。
 さらに国内外の100以上のさまざまなコンクリーションを分析し、今年春には、形成のメカニズムを数式で一般化し、メートルサイズのものも数ヶ月〜数年でできるという結果を発表した。なぜ化石がよく保存されるのか、なぜ丸くなるのか、二つの謎に答えを出した。
 このメカニズムを応用すれば、コンクリート構造物の表面を水に溶けにくい炭酸カルシウムで覆う、つまりシーリングに利用できる可能性があり、研究を進めているそうだ。一方、表面が鉄で覆われたコンクリーションも米ユタ州の砂漠などで見つかっており、火星でも似たようなものがあることから、火星の環境を知る手がかりとして注目されているという。

常設展の人類進化のコーナーに立つ門脇誠二講師。採集した石器が展示されている。

 「博物館へ来てよかった」と話すのは、考古学者の門脇誠二講師だ。ヨルダンで1万5000〜7万年前くらいの旧石器の発掘を進める。ネアンデルタール人と現生人類の祖先であるホモ・サピエンスが中東で共存していたとされる時代で、石器を手がかりに行動を探り、なぜホモ・サピエンスが残ったのかを明らかにしようとしている。人類史に関わる壮大な研究だ。
 石器の大きさや形、さらに周辺で見つかる動植物の化石も合わせて、化石では見えない彼らの行動を探ろうというわけだが、骨の形から機能についての情報を取り出す藤原さんの貢献は極めて貴重だ。一方、考古学研究では、石器の表面に付着した炭酸カルシウム(方解石)の粒などは除去してから石器の分析をするが、吉田さんからは、その粒には当時の自然環境の手がかりとなる情報が含まれていると教えられた。
 同じ考古学でも、新美倫子准教授が取り組むのは環境考古学。北海道など国内と東アジアの遺跡を発掘し、出土する骨や貝殻、道具などの分析から古代人の生活を探っている。一方、束田和弘准教授は地球史の解明に取り組んでいる。モンゴルでの地質調査をもとにシベリアと中国を分ける大構造帯がどうやってできたか、また南極での地質調査から、原生代末期の東西ゴンドワナ大陸の衝突過程を明らかにする研究を進めている。なんともスケールの大きな話だ。
 専門が違えば着眼点も全く異なる。フィールドからの多様な生きた情報に加え、異なる視点が行き交う。それによってものの見方がガラリと変わることもある。博物館はそんな可能性を秘めた場所なのだ。

「予想と違うものを見つけ、なぜ、と考える。そこからさらに普遍的な法則につなげていく。それが研究の醍醐味」と話す西田佐知子准教授。

 そうした強みは半面で、どこからも専門家扱いされないという弱みにもつながりかねない。「だからこそ、納得される成果を出すことが必要」と、植物生態学の西田佐知子准教授はいう。
 単純そうな理系の学問より人間の歴史の方が深遠と文学部で歴史を学び、NHKのディレクターとして3年間働いた後、研究者に転じた異色の経歴を持つ。番組作りは楽しかったが、たまたま屋久杉など植物の番組を担当してカルチャーショックを受けた。子供の頃から生物は好きだったが、植物が淡々と繁殖し広がって行くさまは自分と同じ生物とはとても思えず、また、着実に季節を知って花開く植物に大きな尊敬の念を抱いたという。

 西田さんは今、近年注目を集める「繁殖干渉」というテーマに取り組んでいる。近縁の植物との間で間違った花粉のやり取りがあると、タネがうまくできなくなることがある。そうした悪い影響の受けやすさは種類や組み合わせによって異なり、影響をより強く受けるものが減っていく、というメカニズムだ。植物生態学は、なぜ現在のような分布になったのかを明らかにする学問で、生存のために必要な光や水、栄養などの資源をめぐる競争で分布が変わるとされてきたが、西田さんは繁殖干渉が負けず劣らず重要な役割を果たしているのではないかと考えている。間違いによって多様性が増す。生き物の面白さだ。
 実際、外来の西洋タンポポと在来のタンポポでも、地域によっては在来タンポポが残っているところもある。6年に一度、一斉に花を咲かせて枯れていく植物が沖縄にあり、これは間違った花粉のやり取りによるマイナスを乗り越えるための戦略ではないかという仮説を立てて検証を進めている。
 西田さんは、ネアンデルタール人がなぜ消えたか、についても繁殖干渉の結果かもしれない、と考えている。「妄想かもしれませんけど」と笑う。

 過去にはちょっと意外な企画展もあった。2013年末から翌年にかけて開かれた「『氷壁』を越えて−ナイロンザイル事件と石岡繁雄の生涯」だ。西田さんが担当した。石岡さんは、井上靖の小説「氷壁」のモデルにもなった山岳事故で、最新鋭のザイルの切断によって実弟を亡くした。自ら実験を繰り返し、ナイロンザイルの危険性を訴えたが、その強さを調べる大阪大教授らの公開実験では切れず、事故は使い方の問題とされた。実はザイルが接する岩角を丸くする不正が行われていたのだが、この結果、ザイルは使われ続け、さらに人命を奪った。石岡さんらの訴えにより、世界初のザイルの安全基準ができるのは実に20年後のことだ。石岡さんが旧制の名大工学部出身であったことから関係資料は名大に寄贈された。企画展は、科学者や技術者の社会的責任という、今日的な問題を問うことにもなり、多くの関心を集めた。パネルをもとにした展示はその後、全国各地で行われた。

学芸員の野崎ますみさん。自ら展示を行うほか、友の会や子供向けの体験会の開催まで活動は幅広い。「なんでもやるので、雑芸員、ですね」

 創設以来、学芸員として博物館の活動を支えているのが野崎ますみさんだ。大学の博物館としては珍しい友の会があり、500人の会員を抱えるなど、地域との繋がりが強いのも名大博物館の特徴だ。3台ある電子顕微鏡を生かし、実際に電子顕微鏡で写真を撮って絵葉書にして持ち帰る「ミクロの探検隊」は子供たちに人気の企画という。フィールドに出かけて学ぶ地球教室もある。
 2014年から館長を務める大路樹生教授は、これまであちこちの博物館をみてきた経験から、名大博物館は「大学の外の社会や人々とのつながりをひときわ強く持った博物館であることを実感した」という。その役割を果たし続けるとともに、「自然史や考古学を中心とした、フィールドや標本に基づく研究を大学内で主導する博物館でありたい」と話す。フィールドや標本の研究は、ありのままの自然を相手にする。これまで見てきたように、できるだけ多くの視点を持ってこそ、見えてくるものがある。多様な視点を持った大学博物館の存在は、大学全体の研究、教育にとっても意味が大きいに違いない。
 内外の交流の場として、この大学博物館という場がもっともっと活用されて欲しいと思う。

著者

辻 篤子(つじ あつこ)

1976年東京大学教養学部教養学科科学史科学哲学分科卒業。79年朝日新聞社入社、科学部、アエラ発行室、アメリカ総局などで科学を中心とした報道に携わり、2004〜13年、論説委員として科学技術や医療分野の社説を担当。11〜12年には書評委員も務めた。2016年10月から名古屋大学国際機構特任教授。

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