名大ウォッチ

新聞社で長く科学報道に携わってきたジャーナリストが、学内を歩きながら、
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 英語による授業だけで学位が取れる名古屋大学のグローバル30(G30)国際プログラムを担当する小田洋一名誉教授の予想は大きくはずれた。というより、うれしい大誤算だった。G30の英語の授業を一般の日本人学生にももっと受けてもらおうというプロジェクトの説明会を秋学期が始まる10月1日に開いた。いったいどれくらいの学生が集まるか、悲観的な見通しだったのだが、ふたを開けてみれば大盛況、2回開かれた説明会に合わせて約70人の学生が参加、用意した資料が全く足りず、大あわてでコピーすることになったのだ。終了後も問い合わせが続き、事前の予想の3倍を超える約50人の学生が実際に受講することになった。日本人学生の参加は、G30に所属する留学生たちも大歓迎という。

「英語で学ぼう」。説明会には多くの学生が集まった。

 そもそもG30とは、2008年に当時の福田康夫首相が施政方針演説で「留学生30万人計画」を打ち出したのを受けて、その翌年から文部科学省が始めた「国際化拠点整備事業」である。日本への留学生は2003年に初めて10万人を超え、今から10年前の当時は14万人だった。それを2020年までに30万人、つまり10年余りで倍増させようという計画だった。その拠点となるG30には名大など国立大学が7校、私立大学が6校、合わせて13大学が選ばれた。そして、日本への留学生は昨年5月現在、26万7000人となっている。
 名大は2011年秋に開講し、第1期生が学部と大学院に入学した。当初こそ、各学部に英語の授業を開講してもらうのに苦労したというが、現在は学部では、名大独特の自動車工学を始め、物理や化学、生物、さらに文系の「国際社会科学」「アジアの中の日本」など合わせて11プログラムがある。理系だけなど限られたプログラムしかない大学も多い中、理系から文系まで幅広く英語で学べるのが名大のG30の大きな特徴だ。英語で受けられる授業は学部で約500、授業全体の1割を超え、日本学術振興会の2016年の調査によれば、その割合は全国でもトップだった。

小田洋一名誉教授は、理学部での研究生活から定年後にG30に転じた。

 文科省のG30事業への支援は5年で終了し、2014年からは各大学が独自に取り組むことになった。名大はその後も意欲的な取り組みを続けている大学の一つだ。
 なぜそこまで力を入れるのか。小田さんは、国際教育を充実させることを通して、名大の教育そのものを変えるきっかけにしたいからだという。
 そうした熱意は例えば、志願者の急増という結果になって現れている。学部では45〜50人の定員に対し、2014年には志願者が300人を超え、17、18年は約500人にまでなっている。増えた理由の第一は、専門スタッフによる国際的なリクルート活動の積極的展開だ。

国際アドミッションオフィスのマリオン・キンダーさん。2ヶ月の出張から帰国、またすぐにヨーロッパへ旅立つ。11月からは来年の入学に向けての作業が本格化する。

 学生のリクルートと入試を担当する国際アドミッションオフィスの学術主任専門職、マリオン・キンダーさんはドイツの大学で修士課程を終え、09年に名大に来た。リクルートや海外の留学カウンセラーとの情報交換、出願書類の最終評価の責任者を務めている。7月〜11月はもっぱら、名大のG30プログラムを紹介するためにアジアと欧米を中心に世界各国の高校などを回っており、オフィスの椅子はまず温まることがない。名大はアジアでは比較的知られていても、欧米ではまず知られていない。しかし、ノーベル賞に代表される高い研究レベル、少人数での質の高い授業を英語で受けられることなど詳細を説明すれば、高校生やその親たちもわかってくれるという。例えば米国の大学に比べると学費が格段に安いこともあるが、「それを言うのは最後。経済性を理由にしたくないので」と笑う。卒業生が増えるにつれ、その口コミも大きいという。 

 競争率が上がれば、それだけ質も上がって不思議はないが、そこにも選考の工夫がある。書類選考で3分の1に絞った後、スカイプなどを使って面接するが、理系の場合は1人あたり45分かけ、数学や物理などの問題を実際に目の前で解かせるのだ。それによって実力がわかり、優秀な学生を選ぶことにつながった。入学後の成績は、理学部などで日本人学生を上回っているという。

 出身国別では、かつては在外の日本人が多かったが、ほかの国からの学生が大きく増え、昨年初めて、ベトナム人が日本人を上回って最多になった。マレーシア、インドネシア、インドと続き、今では入学者の8割が日本以外の国からだ。
 シンガポール国立大からも学生がやってくる。2017年に名大との間で交流協定が結ばれ、事前調査に来た結果、学生数は当初の2人から3人に増やされた。「英語での授業が想像以上に充実していると判断されたようだ」と国際担当の渡辺芳人理事はいう。同大は各種の大学ランキングでアジアトップの地位にあり、大学の実績を上げるための活動を積極的に展開していることで知られており、刺激になりそうだ。
 15年秋から卒業生を送り出したが、関係者を驚かせたのは、卒業生たちが毎年、オックスフォード大やマサチューセッツ工科大といった世界のトップ校の大学院に進学していくことだった。これまでの名大ではまず例のなかったことだ。約6割の学生が進学し、その半分は名大、残りは国内の他大学やこうしたトップ校を含む各国の大学院に進んでいくのだ。
 彼らは名大で学んだ卒業生として、巣立っていく。それなら国内生にもできるはず。そのためにはG30の授業を日本人学生にもっともっと受けてもらいたい。そう小田さんたちは考えた。

G30のマリア・ヴァシレヴァ特任准教授の生物学の授業では留学生たちが盛んに発言し、参加した日本人学生を驚かせた。

 むろんこれまでも、日本人学生がG30の講義を受けることはできたし、受講を機に留学を志した例もあった。しかし、英語力の不安からか、なかなか日本人学生は集まらないのが現状だった。そこで、留学生による補講を受けられるなどのサポート体制を整え、受けやすくすることにしたのが、「留学生のサポートを受けながら、英語の講義を受講しよう! 週1の個人指導付」をうたった今回のプロジェクトである。長期目標は「名大の日本人学生が、オックスフォードやハーバードなど海外の大学院にも普通に進学するようになる」ことである。

 自らその推進役を買って出たのは、理学研究科で生命理学を研究する杉山伸講師だ。この数年、G30の講義を担当している。同じ講義を日本語と英語でするが、反応の違いは驚くほどだった。「日本人の学生は卒業できるのは当たり前と思っているのに対し、留学生はいい成績をとって卒業するんだと一生懸命なんです」。G30の方が教える側にとっても面白いと、積極的に関わってきた。総長裁量経費という制度にこのプロジェクトで応募、夏に採択が決まった。

 小田さんは「英語はもちろんだが、将来の留学に備えて、欧米の大学の授業スタイルに慣れてほしい」という。G30の外国人教員の授業は、先生が一方的に話して学生がノートを取るという日本型とは異なり、学生とやりとりしながら進める欧米スタイルが中心だからだ。
 実際、説明会を聞いてG30の生物学の授業に初めて参加した農学部3年の甲斐瑞季さんは「授業の様子が全く違うのに驚いた」と話す。担当はブルガリア出身のマリア・ヴァシレヴァ特任准教授だ。学部のふだんの授業では、「質問は?」と聞かれても皆黙ったまま。ところが、G30では、学生たちは次々に手を挙げて発言する。それに対してマリア先生も逆に「じゃ、あなたはどう思う?」と問いかける。カルチャーショックだった。今は留学を考えているわけではないが、英語を学びたいと、勇気を奮って参加してよかったという。「名大の中でこんな環境があるのに、利用しないのは本当にもったいない」
 日本人学生は、英語での各講義後にG30の学生たちによる90分の補習と90分の個人指導を受けられるほか、一部の講義では録画したビデオ教材も用意されている。まさに至れり尽くせりだ。

9月末、卒業式を終えた後のパーティーでのスリシュティ・シンハさん (左)とサチェタ・クレさん (中央)。スリランカ出身のクレさんは名大大学院に進んで物理学を学ぶ。卒業式に参列した父のN・S・クレさんも名大の博士課程で学び、現在は新潟にある国際大学教授だ。

 G30の学生にこうしたアシスタント役を募集したところ、あっというまに多くの希望者が集まった。留学生たちにとっては、日本人学生と知り合いになれる格好のチャンスになるからだ。アシスタントの方が多くなるのでは、というのが、小田さんの密かな心配だった。
 幸い、それは杞憂に終わった。秋学期は試験運用のため、あまり広範には呼びかけなかったが、予想を超える反響に、小田さんたちは来年からの本格実施に向けて手応えを感じている。「海外からの教師陣や学生たちと私たちが相互に学び合うことで、名大の教育をよりよいものにしていきたい」と抱負を語る。

 インドからの留学生、スリシュティ・シンハさんもアシスタントに手を挙げた一人だ。2歳年上の姉に続いて、名大のG30に入学した。姉のサプナさんは化学を学び、4年生のときに論文発表するなど研究実績を積み、卒業後はオックスフォード大の大学院に進んだ。スリシュティさんは自動車工学を学び、この秋に卒業して名大の大学院に進んだ。インドで大学教授をしている両親とも日本への留学経験があり、日本に留学すると決めていたという。東大のG30にも合格したが、日本文化と環境学しかなく、工学が学べる名大を選んだという。いろいろなイベントを企画するなど忙しい毎日を送っている。日本企業に就職するのが夢という、頼もしい名大生だ。

 授業のやり方にしても、顔ぶれにしても、G30はキャンパスの中の小さな国際空間だ。その境界をとかしていくこともまた、身近な国際化であり、G30の数値目標を超える大きな意味があるに違いない。名大の今回の試みを聞いたある国立大学のG30関係者は「日本人学生に広げていくことは、本来めざす方向のはず」と注目している。
 大勢が参加して先生たちを驚かせた学生たちには、これからも積極的に挑んで先生たちをもっともっと驚かせてほしい。世界をめざしてほしい。「名大生は内向き」などと言わせないためにも。
 この小さな国際空間が、世界に開かれた大学へと大きく変わるための起爆剤になってほしいと思う。

著者

辻 篤子(つじ あつこ)

1976年東京大学教養学部教養学科科学史科学哲学分科卒業。79年朝日新聞社入社、科学部、アエラ発行室、アメリカ総局などで科学を中心とした報道に携わり、2004〜13年、論説委員として科学技術や医療分野の社説を担当。11〜12年には書評委員も務めた。2016年10月から名古屋大学国際機構特任教授。

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