名大ウォッチ

新聞社で長く科学報道に携わってきたジャーナリストが、学内を歩きながら、
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2019年07月31日

歴史を学ぶ意味

 宇宙航空研究開発機構の小惑星探査機「はやぶさ2」が、小惑星リュウグウへの2度目の着陸に成功した。最初の着陸で岩石のサンプルが採取されたことが確実視されており、もし大きな失敗があって帰還できないようなことになれば、それも失うことになる。慎重論も出ていたなかでの見事な成功だ。「100点満点で言えば1000点」「太陽系の歴史のかけらを手に入れた」と記者会見での言葉もはずんだ。そんなはやぶさ2の活躍に胸を躍らせた人も多かったに違いない。
 はやぶさ2の活躍に沸く様子を眺めながら、西洋中世史家として知られる名古屋大学の佐藤彰一名誉教授がかつてこんなふうに語っていたことを思い出した。「多くの人がはやぶさに夢中になるのは、未知の世界だからでしょうか。その気持ちはわかります。同時に、未知の世界というなら、もっと他にもある、とも思います」
 いうまでもなく、未知の世界は決して科学の世界にだけあるわけではない。研究とはそもそも未知の世界に挑むものだから、そこにはワクワクするような知的興奮があるに違いない。しかし、その知的興奮を広く分かち合えるかどうかは、分野によるだろうし、研究者自身の努力もあるかもしれない。佐藤さんは、そうした専門的な研究成果を書物の形で普及させるのは研究者の務めであるといい、「研究の第一線を離れて余裕が出てきた」という今、一般向けの新書という形でシリーズ化して出版し、世に問うている。

佐藤彰一名誉教授。日本学士院を代表して国際学士院連合の理事会に出席するなど国際的に活躍している。6月に北アフリカのチュニジアで開かれた会合の折に初めてカルタゴ遺跡を訪れ、感銘を受けたそうだ。

 佐藤さんは日本学士院会員であり、今年2月にはフランス学士院会員にも選ばれた世界的な歴史家である。出身は中央大学法学部、高校まで野球に明け暮れ、つぶしが効くと思って選んだそうだ。だが、学問、とりわけ歴史への関心が強くなり、早稲田大学の大学院に進学するや、すぐにフランスに私費留学して歴史を学んだ。その後、愛知大学助教授となり、1984〜87年には客員研究員としてパリに滞在した際、フランスのある修道院に残されていた7世紀の会計文書群に興味を持った。修道院が農民から徴収した穀物などが詳細に記録されており、古代から中世に移行する時代の領主と農民の関係を示す貴重な史料だと思ったからだ。87年、名古屋大学に移り、10年がかりでこの膨大な会計文書群を読み解き、学位論文にまとめた。1997年に「修道院と農民―会計文書から見た中世形成期ロワール地方」というタイトルで名古屋大学出版会から出版され、その業績で2002年の日本学士院賞を受賞した。

 法学からフランスの歴史学へと、日本で普通に西洋史を学ぶのとは違う道を歩んだこともあり、日本の学会で初めて発表した時は「鮮烈なデビュー」と言われたそうだ。また、フランスでは古文書を読む学者とそれを読み解く歴史家の仕事が明確に分かれている中で、歴史家として古文書を読み解いた研究成果が大いに注目されたという。
 その佐藤さんが、もっと関心が集まってもいいのでは、というテーマは例えば、封建制をめぐる世界的な議論だ。1974年と1994年に、それぞれ米国とイギリスの女性の中世史家が、ヨーロッパ中世の封建制に関する従来の議論をひっくり返す画期的な書物を出版し、世界的に大きな議論を巻き起こしているのだという。それに関連して日本における封建制を問う議論も出ているといい、私たちがごく当たり前に考えている封建制の概念が変われば、歴史の見方にも影響を及ぼしそうで、興味がわく。
 もっぱら歴史家の間での議論にとどまっているようだが、例えばドイツでは、一般紙が学問の世界のトピックとして取り上げた例もある。歴史学など人文系の学問を、学者ではない専門家を養成して支える態勢になっているなど、学問への社会的な関心の高さが背景にあるかもしれない。
 学問の世界で起きている大きな動きは、もっと伝わってもいいかもしれない。分野によっては難しいかもしれないが、歴史学は比較的わかりやすい面もあり、特に日本史では次々に新説が提唱されて関心が集まっている。なんとか伝えたいと佐藤さんが考えるゆえんだ。

 そんな試みとして書き綴ってきたのが、「禁欲のヨーロッパ」(2014年)、「贖罪のヨーロッパ」(2016年)、「剣と清貧のヨーロッパ」(2017年)、そして「宣教のヨーロッパ」(2018年)という中公新書の一連のシリーズだ。学術書とは離れ、今日まで続くヨーロッパの文化的背景を中世の修道会に遡るところから順に辿っていくもので、最新作では日本にも大きな影響を与えたイエズス会を取り上げた。締めくくりの5作目として、17世紀に入って学術組織へと変わっていった修道会と、そこでの近代歴史科学の誕生に関する著作を今年秋には出版の予定という。
 そこでふと思うのは、自国史ではないヨーロッパの中世史になぜ日本人研究者が取り組むのか、ということだ。言語の壁もあるし、その地で生まれ育った人に比べれば不利は否めないのではないか。
 佐藤さんの答えは明快だった。「学問とは普遍的なもので、国籍や言語に関係なく、事象に関心を持った者が探求する。そして、その結果が人類文明への貢献につながる」
 問われるのは、対象が何であれ、研究者独自の視点、独創性ということだろう。むしろ、違う文化から入ることによって見えてくるものがあるかもしれない。佐藤さんが明らかにした修道院の文書も、断片的なものはあまり役に立たないとして手付かずだった。オリジナリティのある研究として高く評価され、部分的にはフランス語、英語になっているが、全訳を望む声が強いという。

 そんな佐藤さんに続くように、そうした壁を物ともせず、業績を上げる研究者が増えているという。この春、自身の瑞宝重光章受章を記念する会で佐藤さんは「日本における西洋中世研究発展の新局面」と題して講演し、とくに1990年代以降、海外での研究成果が海外で評価される例が増えていると語った。つまり、「中世史料への深く広い知識と、先行研究に関する網羅的な知識とを持ち、さらに、指導者や研究仲間とのコミュニケーション能力に優れ、定評ある海外の学術出版社からその成果を刊行する」という経過を経て評価される研究者が次々に出ているというのだ。日本学術振興会の科学研究費補助金によって若手が海外に出かけて研究する機会が増えていることも背景にある。
 そんな一例として佐藤さんが紹介したのが、中世フランス語の辞書を編纂した松村剛東大教授だ。この功績により、2016年にフランス学士院の権威あるフランス語圏大賞を受賞し、2018年には日本学士院賞・恩賜賞を受賞した。佐藤さんは、優れた辞書は編纂者の名前が一般名詞化して呼ばれることから、いずれこの辞書は「マツムラ」の名で知られることになるだろうと語った。
 そんな辞書をなぜ日本人が、と驚いたが、フランス中世文学の権威が、弟子の一人である松村さんを指名したのだという。この時代のフランス語の辞書は何冊にも分かれた大部の古いものしかなく、幽霊語や間違いも多かったが、新しい辞書作りを託されたフランスの専門家による作業は進んでいなかった。いわば最も信頼できる専門家として白羽の矢が立ったのだ。400、500ページ程度の簡便なものを、との依頼だったが、5年半かけて出来上がったのは3500ページ、約5万6000語を収録するものだった。誤植もきわめて少なかったといい、完璧な仕上がりで期待に応えた。
 佐藤さん自身、古い時代のことをやっていると頭の切り替えに1日かかるという。それだけ集中力が求められるのだが、これだけのことを成し遂げたのは「とてつもない集中力」と舌を巻く。
 このように、日本の研究者による貢献が増える一方で、海外から若手がやってきて、例えば、日本中世・近世の家紋とヨーロッパの紋章の比較研究を行うなどの交流も活発になってきているという。こうした交流が新たな展開につながることを大いに期待したい。

周藤芳幸教授。高等研究院長として、部局の壁を越えた意欲的な若手研究者の育成に力を入れる一方、エジプトとギリシャの文化交流の研究にも取り組む。

 ではそもそも、大学で、そうした歴史を研究し、学ぶことの意味はなんだろうか。
「昔のことをやって何になるんだと言われることもあります」。こう話すのは人文学研究科の周藤芳幸教授だ。もともとはギリシャを専門とする考古学者だったが、佐藤さんの元で西洋史を担当する助教授に採用されて以来、考古学による歴史学へと研究が発展してきている。現在、佐藤さんが2代目の院長を務めた名大のアカデミーである高等研究院の院長でもある。
 周藤さんは「人間は文化を継承していく生き物であり、先人が築いたものを吸収して新たに付け加えていく。そのためにも、かつて人間はどのような条件でどのように生きてきたのか、今起きていることはなぜそうなっているのか、歴史の中で見ることが欠かせない」と話す。
 人類はこれまで、大きな失敗を繰り返してきた。先端的な科学技術に深く関わっている名古屋大学こそ、歴史を始めとする人文学的な学問が重要だという。現在を、そして、人間というものを考える基礎を身につけるうえで欠かせないからだ。
 佐藤さんも「時代が変化すればするほど、普通の人間は自分の生きている時代のことしか視野に入らなくなるが、歴史を学ぶことで初めて、さまざまな時代のさまざまな運命について考えざるを得なくなる。時代状況の変転が目まぐるしくなればなるほど、歴史学は重要な教養になってくる」と話す。

答辞を読んだ貫名琴音さん。文学部を卒業して、この春から社会人になった。 

 この春、こんな言葉を聞いた。

「世界史における各時代は、固有の個性を有すると同時に、前の時代からの流れの中にもあり、前の時代の成果を正しく受け継ぐことによってこそ、現在の固有の課題を実現できると捉えれば、そこに歴史を学ぶ意味があると思います」
「今の私たちの課題は、一人ひとりの個性を、いかなる分野でいかに発揮するかということであり、これを考える際には、過去の時代を生きた人々が、いかにその時代を受け止め、彼ら固有の課題を実現するために活動したのかを学び、現代に至るその流れを把握することが有用だと考えます」
 文学部で西洋史を学んだ貫名琴音さんによる、卒業式の答辞の一節である。
 ここに、歴史を学ぶ意味が集約されている。人類に貢献する歴史研究の豊かな伝統の中で、まさにこの言葉のように、学生たちにはしっかりと歴史を学んでほしいと思う。

著者

辻 篤子(つじ あつこ)

1976年東京大学教養学部教養学科科学史科学哲学分科卒業。79年朝日新聞社入社、科学部、アエラ発行室、アメリカ総局などで科学を中心とした報道に携わり、2004〜13年、論説委員として科学技術や医療分野の社説を担当。11〜12年には書評委員も務めた。2016年10月から名古屋大学国際機構特任教授。

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