名大ウォッチ

新聞社で長く科学報道に携わってきたジャーナリストが、学内を歩きながら、
大学の今を自由な立場で綴っていきます。

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 「ピラミッド研究最前線」と題した、高等研究院の河江肖剰准教授の講演が終わるのを待ちかねていたように、環境学研究科の渡邊誠一郎教授が口を開いた。「小惑星リュウグウではやぶさ2がやっている探査と全く同じですね」。渡邊さんは宇宙航空研究開発機構(J A X A)の小惑星探査機「はやぶさ2」の科学チームをまとめるプロジェクト・サイエンティストを務めている。河江さんはピラミッドをドローンでくまなく撮影し、そこから石の一つひとつまでを正確に記した3次元の実測図を作ったことを紹介したが、それははやぶさ2がリュウグウの表面を撮影して詳細な実測図を作るのと同じというわけだ。詳細なデータから内部の様子やそれらの誕生の秘密を探ろうという点も共通だ。4500年前、底辺が約230mもある大ピラミッドはどのようにして作られたのか。一方、直径約1kmのリュウグウは太陽系が誕生した45億年前にどのようにして形成されたのか。いうまでもなく、ピラミッドとリュウグウは全くの別物だが、ともに人類の想像力をかき立ててやまない対象である。それを最先端の科学で明らかにしようとしている。「はやぶさ2はいわば、ピラミッドにおけるドローン。45億年前の考古学に挑んでいる」と渡邊さんはいう。
 さらに、リュウグウは上下にとがったそろばん玉のような形をしていることから、「リュウグウは、ピラミッドをもう一つひっくり返してくっつけたようなもの。まさに相似形」と話は盛り上がった。最先端の宇宙科学と考古学がつながって、ワクワクした。
 学内のさまざまな分野の研究者が講演し、その後、ワインなども飲みながら交流する目的で開かれている「名大サロン」での出来事だ。異分野のトップランナーが出会い、思いがけないつながりが見えてくる。物理学や農学などの研究者もそれぞれの視点で問いかけた。大学という場の魅力だろう。

河江肖剰准教授(右)の講演後、はやぶさ2との関連について語る渡邊誠一郎教授
(2019年10月10日、高等研究院大談話室)

 ピラミッドでは特にこの数年、大きな発見が続き、研究は大きな転換期を迎えているという。そのうちの一つが2017年、河江さんと同じ名大高等研究院の森島邦博特任助教による大ピラミッドの中の巨大空間の発見だ。そんなに大きな空間があるとは全く考えられていなかったので、非常に驚いたという。それが何を意味するのか、大きな謎だ。また、2013年にはエジプト最古、クフ王の時代のパピルスも見つかった。そこには、ピラミッドへの石の運搬といった活動の日誌がまるでパソコンソフトのエクセルのシートのような行列として書かれるなど、当時の様子を生き生きと伝えていた。
 従来のピラミッド考古学といえば、墓や神殿から財宝など美しい物を見つけることに重きが置かれていた。いわば、映画のインディ・ジョーンズの世界だ。それに対して、生活の場で捨てられたゴミに焦点を当てれば、当時の人々の暮らしが見えてくる。1960年代頃からそういう考古学が主流になってきたが、エジプトは有り余るほどの財宝に恵まれていることもあり、そうした動きからは遅れていた。だから、「驚くほどデータがない」と河江さんはいう。
 それを変えたのが、河江さんの師であり、エジプト考古学の第一人者とされる米国のマーク・レーナー博士だ。考古学者なのに測量ばかりしている変人と言われながら、ピラミッドのあるギザ台地をくまなく測量した。そして、ピラミッドの建設に従事した人たちの町が近くにあるはずだと考え、1989年、実際に発掘して町を発見した。古代都市ピラミッドタウンである。めざすのは「ピラミッドの神秘性をはぎ取ること(demystification)」だ。謎と神秘の象徴としてのピラミッドではなく、生身の人間が設計し、一つひとつ石を積み上げて作ったピラミッドだ。だから、完璧に見えて実は失敗も多い。ひび割れをモルタルで塗り固めた跡もある。
 かつては、ナイル川の東側に生者が住み、太陽が沈む西側は死者の町とされていた。また、エジプトは都市なき文明とも言われていたが、ピラミッドタウンの発見でそうしたイメージは一変した。発掘が進み、住居や道具などの証拠により、人々の暮らしぶりも明らかになってきた。例えば、当時の原材料や技術でパン焼きを再現すると、パンだけで1日約2400キロカロリーを得ていたらしい。働いていたのは奴隷ではないことがわかる。
 では、ピラミッドはどのようにして建造されたのか。この最大の謎に3次元の実証データで迫りたい。河江さんは意気込んでいる。

ギザの3大ピラミッド。その謎の解明が急速に進んでいる(河江さん提供)

 ピラミッド研究の最前線で活躍する河江さんだが、研究者としては異色の経歴を歩んできた。大学受験に失敗したのを機に、19歳でエジプトに渡った。テレビ番組を見て中学生の頃からピラミッドに関心があり、武道の師に「そんなに好きならエジプトへ行け」と勧められたからだ。遺跡ガイドなどをしながら過ごし、カイロ・アメリカン大学に入学したのは27歳、遅いスタートだったが、「大ピラミッドの謎を解明する」と張り切っていた。卒業後の2004年、講演会で知り合ったレーナー博士の発掘隊に加わった。持ち主や中身に関する情報が刻まれた泥の封印である「封泥」を大量に発見するなどの成果をあげた。
 名大とのつながりは2008年、妻の仁美さんの病気の治療のため、その出身地である名古屋に戻ったことだった。そして、名大に発掘現場で知り合った周藤芳幸教授(古代ギリシャ史)がいたことから、そこで博士号をめざすことになった。人文系では社会人入学の例はほとんどないうえ、前提となる修士号もない異例の学生だったが、エジプトでの発掘で多くの論文があり、その実績で入学が認められた。
 博士号を取得したのは2012年、すでに39歳になっていた。学術振興会の奨学金制度である特別研究員には当時年齢制限があり、超えていて応募できなかった。年齢制限がないのは、「子育てで研究を中断した女性研究者を支援する」ことをうたったR P Dという制度だけだった。博士課程在籍中に仁美さんが他界し、幼い3人の息子を一人で育てていたことから応募したところ、男性として初の採用例となった。以来、R P Dからは「女性」の文字が消えて男性も応募するようになったという。
 3年間の支援が終わると、無給の研究員になった。ピラミッドを取り上げたテレビ番組への出演や講演などで生活費を得ながら研究を続けた。テレビの仕事は、2度にわたってピラミッドに登り、石の大きさを一つひとつ測ったり、内部を調べたり、研究に大いに役立った。ピラミッド はもちろん簡単に調査できないが、テレビ番組は広く伝える点でメリットが大きく、許可が出やすいという。
 大ピラミッド の謎を解明したいという10代の頃からの志のままに、果敢に道を切り開いてきた。研究においても、既存の学問の枠組みにとらわれることはない。「必要なものを使うだけ」だ。2016年には、米国のナショナルジオグラフィック協会の「エマージング・エクスプローラー」、つまり先進的なビジョンをもった気鋭の研究者にも選ばれ、「発掘調査と先端技術でピラミッドの実像に迫る」と紹介された。
 そして昨年秋、部局を超えた研究をする学内のアカデミー、高等研究院で、准教授という常勤のポストを得た。

河江さんのエジプト滞在は16年、現時点では人生で最も長く滞在した場所だという
(河江さん提供)

 こだわるのは、師同様、現場で測った緻密なデータだ。3D計測には2006年から取り組んできた。レーザー測量や画像をもとに3次元の像にする。2013年には、工学など他分野の研究者の参加も得て「ギザ3D調査」という産学連携のチームを立ち上げた。ピラミッドに登った際に撮影した画像はあったが、すべては網羅されない。ドローンならくまなく撮影できるが、アラビア語でドローンは「スパイ飛行機」と呼ばれ、許可はまず得られないと考えられていた。ところが、エマージング ・エクスプローラーに選ばれたことなどが弾みとなり、テレビ番組でドローン調査を行う特別の許可が出るという幸運に恵まれた。そしてドローンによる調査を2016年から始め、2017年2月、本格調査に取りかかった。見たことのない頂上の光景に、「震えた」という。
 得られた膨大なデータを分析するための費用を捻出するため、昨年9月にクラウドファンディングを始め、1500万円以上を集めた。そして今年8月、世界で初めて3大ピラミッドの3D画像を完成させ、仲間と共に発表した。
 3Dデータを作るのに使われたのが、2012年頃に登場したS F M(Structure from Motion)と呼ばれる画期的なソフトだ。さまざまな角度から撮影された画像から3D画像を作り出す。1cmの精度で一つひとつの石まで正確に描かれている。S F Mはリュウグウの探査でも使われており、はやぶさ2は上空からの撮影のため、リュウグウの3D画像の精度は約10cmとなる。
 こうした活躍ぶりに、「日本のスケールには全く収まっていない」と舌を巻くのが、博士課程の指導教員で現在は高等研究院長を務める周藤さんだ。さまざまな分野の研究者を巻き込んでプロジェクトを進め、研究支援もあちこちから獲得する。人柄の力も大きい。「人文学のイメージも変えつつあり、まさに学際研究のモデル」と成長ぶりに目を細める。

名古屋大学ホームカミングデーで「小惑星探査機はやぶさ2の挑戦」と題して
特別講演したJAXAの津田雄一准教授(2019年10月19日)

 先端科学が解明しつつある人間の営為としてのピラミッドは、実ははやぶさにもつながっている。そう感じたのは、宇宙地球環境研究所が名大ホームカミングデーで行った特別企画「未来社会を拓く科学:宇宙へ、そして地球へ」で、はやぶさ2のプロジェクトマネージャを務める宇宙航空研究開発機構(J A X A)の津田雄一准教授の講演を聞いた時だ。なぜ宇宙にいくのか、と問われ、津田さんは「人類の文明は、最先端の科学技術を使って挑戦し、活動を広げることで発展してきた。宇宙の謎を解き明かすために最先端の技術を利用する、つまり宇宙は最先端技術を生かす場」とし、「行くことでさらに謎が増えることが明らかなら行く」と話した。さらに、「むしろ、それが見えているのに手を差し伸べなくていいのかという感じ」とつけ加え、「人類の扉を開けるような探査」への強い思いを語った。そんな思いがこれまでも、人類の文明を切り開いてきたに違いない。
 ピラミッドも、当時の最先端の技術を使って作られた。そこにどういう思いがあったのか。解き明かされる日が楽しみだ。

4月の名大サロンは代替わりを前に、象徴天皇制の研究で知られる河西秀哉准教授が話した。昭和最後の年にドラゴンズが優勝したのに、昭和天皇の病気のためにビールかけも自粛、残念に思ったのが象徴天皇制に関心を持ったきっかけという(2019年4月22日)

 河江さんの講演が行われた名大サロンはかつて、学内の分野を超えた知的交流の場として2002年9月から毎月1回、2010年12月の第100回まで行われていた。学内レストランを会場に、講師の話に続いてワインなどを飲みながら議論した。2004年からは市民にも開放され、講演内容は毎回、中日新聞に掲載された。第1回は学士院賞を受けたばかりの佐藤彰一文学部教授(以下、いずれも当時)が「西洋中世史家のアトリエ」と題して話した。「われらかく飲みかく語りき 名大サロンの100回」と題された冊子を見るとまさに多士済々、池内了理学研究科教授が2003年、大学の法人化を前に「大学論」を語り、今年の文化功労者に選ばれた近藤孝男理学研究科教授も2010年、生物時計について語っている。99回の講師は渡邊さんで、ちょうどその年、地球に帰還して小惑星イトカワのサンプルを届けた初号機のはやぶさと惑星形成について語った。
 中心になって運営に当たってきた福井康雄理学研究科教授(現特任教授)によると、学内の参加者が30人程度であまり広がらず、運営の負担も非常に重くなってきたことから、100回で休止することにした。しかし、こうした知的サロンを求める声が根強く、昨年夏から再開の準備が進められてきた。そして昨年秋から2ヶ月に一度、まず学内の参加者だけで試行的に再開することになった。
 4月には令和への移行を前に人文学研究科の河西秀哉准教授が「平成の天皇制のあゆみと退位の背景」について、6月には経済学研究科の隠岐さや香教授が「19世紀日本と『道徳科学』」、そして8月には渡邊さんが「はやぶさ2の挑戦の裏側」と題し、それぞれ講演した。時宜にかなった魅力的な講演が続いている。
 せっかくの総合大学だ。あちこちでユニークな研究が行われている。分野を超えた交流はこれからの学問にとっても重要に違いない。こうした試みがさらに広がって欲しいと思う。

著者

辻 篤子(つじ あつこ)

1976年東京大学教養学部教養学科科学史科学哲学分科卒業。79年朝日新聞社入社、科学部、アエラ発行室、アメリカ総局などで科学を中心とした報道に携わり、2004〜13年、論説委員として科学技術や医療分野の社説を担当。11〜12年には書評委員も務めた。2016年10月から名古屋大学国際機構特任教授。

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